【レビュー#06】小説『クレイジー』―「人生の不安」と個人的で普遍的な問い
こんばんは。灰澄です。
今回は、ベンヤミン・レーベルトの小説、『クレイジー』2000(原題 “Crazy” 1999)の紹介です。初めての書籍紹介記事ですね。
ドイツ発、現代版『ライ麦畑でつかまえて』的な雰囲気をまとった物語です。実際に、発刊当初は、各国の紙面でサリンジャーの再来と評されたようです。
今度、映画と書籍でそれぞれライフタイムベスト作品リスト的な記事を書こうと思っているのですが、その中に間違いなく入る一冊です。
特別に思い入れのある作品だけに紹介が難しく、書きかけの記事を長らく放置していましたが、色々悩んだ末、「刺さる人には多分それと分かるだろう」と思い切りました。
そういうわけで、ここが肝というところを少し解説するにとどめようと思います。
あらすじとキーワード「不安」
主人公、ベンヤミンは、「左半身麻痺」の身体障害を抱える少年です。日常生活の動作のほとんどを自分一人でできますが、字を書くことや、物を拾うことには不便があり、同級生と全く同じように過ごせるわけではありません。
彼の不都合は、「目が見えないこと」や「耳が聞こえないこと」のように簡潔に人に伝えることができるものではなく、「左半身が上手く動かない」としか説明しようがありません。どれくらい不便で、何が出来て、何が出来ないのかを人に伝えることが難しいのです。
ベンヤミンは、身体的な制限があるということ以上に、それが説明しづらいものであり、「自分はこうだ」と言えないということに、もどかしさを感じています。
この物語は、ベンヤミンがノイゼーレン寄宿舎学校で体験する学生生活を描いたものです。
学生生活の中で、ベンヤミンは、切れ者のヤーノシュをはじめとする悪友たちと出会い、時には無茶をしつつ、自由で、焦燥感に駆られていて、不安定な少年期を共有します。
この物語のキーワードも言える台詞は、「不安」です。
過去や、現在や、未来や、自分に対する、漠然とした、緩やかで、しかし切実な「不安」。目に見える脅威があるわけでもなく、襲い来る敵がいるわけでもなく、日々は平々凡々としてすらいるのに、常に居心地が悪いような、言葉にならない「不安」です。
これについて、ベンヤミンは、仲間の中でも特に思慮深い性格のトロイとの象徴的な会話を交わします。ここに、その一部を抜粋します。
「不安」="Angst"とは
抜粋したベンヤミンとトロイの会話に登場する「不安」という言葉についてですが、原語であるドイツ語では”Angst”という単語が使われています。
”Angst”を辞書で調べると、「不安」という訳が出てくるのですが、実は少し特殊で、正確に翻訳することが難しい言葉です。
“Angst”には、ただの「不安」というより、「漠然とした先の見通せなさ、心配な気持ち、分からないという苦悩・苦痛」、といったニュアンスがあります。日本語にも英語にも、ぴったりと一致する訳語はありません。
ドイツ人の国民性ジョークとして、「何でも厳密に定義したがる」「生真面目で融通が利かない、理屈っぽい」というようなことをネタにしたようなものがありますが、そのイメージと、この”Angst”の示す概念は関連があるように思います。
これについて、英語には「分からないという漠然とした不安、疑心暗鬼」を指す、”German Angst”という表現もあります。
「ほんまもんの不安」と「人生に対する不安」
さて、”Angst”のニュアンスを踏まえて、少し原語で台詞を見てみましょう。トロイの言葉に、「ほんまもんの不安」、「人生に対する不安」という表現があります。
先ず、「ほんまもんの不安」について。
これは原語では”richtig Angst”という言葉が使われています。”richtig”は、「本当の・正しい」という意味です。つまり、「本当の意味で不安ということ、不安という言葉が真に指しているもの」といったニュアンスでしょうか。
では、何が「ほんまもんの不安」なのか。それはこの台詞に続く「人生に対する不安」です。
「人生に対する不安」は原語では”Angst vor dem Leben”と表現されています。”Leben”は「人生」、”vor”は「~対する」なので、ほぼ直訳されていますが、”vor”には「空間的に前にある」という意味もあります。例えば、”vor dem Haus”は「家の前で」という意味になります。
つまり、”Angst vor dem Leben”は「人生を前にして直面する漠然とした不安や苦悩」のようなニュアンスになります。
ベンヤミンとトロイが話題にしている「不安」の種類がどのようなものか、なんとなく伝わったのではないでしょうか。
「おれの問題」と「おれたちの問題」
彼らは、各々が体験や記憶から立ち現れる「ほんまもんの不安」を個人的な問題、いわば「おれの問題」として抱えつつ、同時にそれを普遍的な「おれたちの問題」として共有しています。
世界は「おれの問題」なんてお構いなしに動いていて、誰も不安な自分を待ってはくれませんが、そんな「おれたちの問題」は普遍的で、それぞれが「置き去りにされているという感覚」に共感しています。
この「誰もが持っている、誰とも共有できない気持ち」が、『クレイジー』の物語のテーマといえると思います。
ベンヤミンたちは、ノイゼーレン寄宿舎学校での生活を通して、「不安」の置き場所を見つけられるのでしょうか。
漠然とした不安、緩慢な憂鬱、意味のある何か、そんな言葉が心に引っかかったことのある人に、是非手に取って欲しい一冊です。
ただし、文庫化されておらず、そこそこ古い作品なので、中古以外で入手することは難しいと思います。
その分安く手に入りますので是非に……(2022年7月5日現在、Amazonで14点在庫がありました)。
では、今回はこのへんで。
次の記事でお会いしましょう。
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