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【小説】砂糖菓子の弾丸はもう撃たない―a lollypop is gone.

桜庭一樹作品の二次創作公募の企画に提出した、『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』の二次創作小説です。

 入選することはできませんでしたが、当時、書いていて楽しかったです。

 本編の後日談として書いているので、未読の方はご注意ください。既読の方はご感想など頂けると飛んで喜びます。


 
  外気で冷え切った玄関のドアを押し開けて、照明のスイッチを弾く。
 築三十五年、二十平米の1K。
 
 三回ほど点滅してからついた白色灯に照らされた部屋は、どこもちぐはぐで、田舎っぽい。東京に住んでも、都会人になれるわけじゃない。

 ストッキングを脱いで玄関脇にある洗濯機に放り込むと、フローリングから伝う冷気が浮腫んだ足を刺した。ユニットバスにお湯を張る。その間に、コンビニで買ったお弁当をレンジにかけて食べた。昨日と違うお弁当のはずだけど、同じ味がする。

 ハンガーにスーツを吊るして、下着とブラウスを洗濯カゴに放り、湯船につかる。芯まで冷えた身体がびりびりと痺れる。深いため息をつく。

 湯船に入ったままシャワーの栓を捻って頭にお湯を浴びると、髪がぺったりと顔に張り付いた。雨の中に放られた犬みたいだ。

 睫毛や、頬や、唇を伝って水滴がぽたぽた落ちてゆくのを感じていると、自分の身体がこのまま水の中に同化していってしまいそうな感覚になる。手の先や、胸や、足と湯船のお湯との境界が曖昧になって、微睡むように溶けていってしまいたい―そんなことを考える。

 ここまでが、一日の終わりに向かうための儀式。

 今の私。今日の出来事。明日のこと。それから、あの頃のこと。いろんな時間の感覚や記憶が、瞼の裏をかすめる。

 私は、どんな風に生きてきた?

 今日を生き抜くことができた?

 テレビやネットニュースでは連日、九州地方で起こった豪雨の被害を報じている。
 
 あちこちの家や施設に土砂が流れ込んで、住民たちがスコップを持って泥をかき出している。
 現地に派遣された自衛隊は、倒壊した家や崩れた山から人を探したり、瓦礫を撤去したり、避難所に物を届けたりしている。兄の友彦も、被災地の復旧活動に参加していた。

 マスコミが現地取材に入って、毎日のように住民のインタビュー映像を流していた当時、友彦がテレビに映ったことがある。
 取材を受けた友彦は、相変わらず少女漫画のキャラクターみたいに綺麗な顔で、だけど家に居た頃よりもずっとがっしりとした、大人の男になっている。
 現地の悲惨さを訴えるようなコメントを引き出そうとする記者の質問に、少し浅黒くなった頬についた泥を拭って、にこやかに「頑張りましょう」と答えた友彦の映像は、美談としてSNSでちょっとした話題となった。

 その日のうちに母から電話がかかってきて、近所に自慢しなくちゃとか、どこかで再放送されないかしらとか、どうにか録画を残せないのとか、大騒ぎした。

 ちょっとニュースで話題になった程度の映像なんて、数日もすれば別の出来事に塗り潰されてゆくのが当たり前だけど、田舎では一大事だ。
 上京して以来ずっと会っていなかった同級生からも、わざわざ連絡が来た。特に、映子は地元で就職したから、都会信仰は中学生の頃のままだ。
 友彦は、現実の世界で立派に戦っている。
 
 兄が全国ネットデビューした日の私は、良いことも悪いことも起こらない、ルーチンワークの一環としての一日を過ごしていた。
 
 山のように積まれた書類を前に、黙々とデータを入力して、電車に揺られて帰宅して、コンビニ弁当を食べて、お風呂に浸かって一日を終えた。今日と同じように。

 人も、世の中も、変わってゆく。ずっと変わらずそこにあり続けると思っていたものすら、あっけなく変わってしまう。

 良いとか、悪いとかじゃなくて、物事は流れてゆく。カミサマの意思とか、運命とか、そういうものがあるのかどうかなんて分からないけど、こういう想像をしてもしなくても変わってしまう。

 その変化を受け入れられるかどうかなんて、世界にとってはどうでもよくて、私たちは呆然とたまま、転がされるように生きてゆく。

 そして、たまにその流れから零れ落ちて行ってしまう子もいる。

 どうすることもできなかった日々への憐憫のために、大人は思い出話をするのだろうか。選べなかった未来、救えなかった過去、置き去りにされた心に、せめて意味を与えて、人の想いの残滓が腐敗して汚れてしまう前に飲み込もうとして、傷跡をなぞるのだろうか。

 私は、それだけはしないと決めたのだ。
 あの日の戦没者名簿を、過去の出来事として、記憶の一ページにしたくない。
 私にとって、あの日々は、あの出来事は、今でもここにある。居なくなってしまった人のことを、時間とともに輪郭を失ってゆく思い出になんてしたくない。

 物語なんて、どこにも無い。

 それを知った人間の人生は、凄く辛い。両手離しに身を委ねられるものなんて無いんだって、分かってしまっているから。そこにある何もかもが確かでなくて、もう迷わなくてよくなる答えなんて無いんだということを、知ってしまったから。

 大人になれなかったんじゃない。
 大人なんて、どこにもいなかったのだ。
 信じていたかった幻想は、もう溶けてなくなってしまった。
 でも、だけど、現実の私の人生は紛れもなくここにあって、私を問い詰め続ける。

 昨日の疲れとか、今日の気持ちとか、明日の都合が、私の現実を支配している。何も割り切れないまま、時間だけが過ぎて、人や世の中と関わっていく中で私たちは形だけ「オトナ」になってゆく。

 過ぎ去った日々が違う世界の出来事になりそうで、それに気付いたとき、自己嫌悪に吐き気をもよおす。
 時間の経過とともに、色んなことがどうしようもなく変わってしまって、次の「考えなくちゃいけないこと」が現れては消えてゆく。
 問いの後には、いつだって次の問いがある。変わってゆくことと、何も変わらないことの矛盾。
 そういうことに、時々ついていけなくなって、色んなものを見失いそうになる。人生とか、大切な思いとか、忘れたくない感情とか、そういうものを。
 甘い空想も、今を忘れさせてくれそうな、いい感じの嘘も、もうここにはない。逃げ道のその先には、結局現実が口を開けて待っている。
 空想の弾丸で世界に対抗しようとしていた戦士たちは、 皆散ってしまった。

 東京で就職して働き始めてから、日々はとにかく追われるようで、新しい生活に順応することに必死だった。けれど、この頃は少し慣れて、これが自分の日常なのだと感じられるようになっていた。
 いつ間にか強く意識することのなくなっていた、あの日々の景色が瞼の奥でジリジリと燻る。

 十三歳の私たち。空想を抱いたまま死んでしまった女の子との時間。
 
 忘れたことなんてない。だけど、私は当時よりいくらか上手く生きられるようになっていた。
 
 その日の夜、私は久しぶりに夢を見た。

 ―山田なぎさ。
 
 私を呼ぶ、甘ったるい、縋るような声。
 ペットボトルの中で踊る水の音、片足を引きずる影法師、懐いた犬みたいに大きく見開いた目に時折差す、怯えた色。
 
 照り付ける太陽がアスファルトを焦がす国道沿いの道で、都会的でオシャレなワンピースをはためかせた女の子が、不恰好に踊る。

 私は、自分のペースでどんどん歩いていってしまうあの子の後ろ姿を見つめながら、全く、身勝手ばっかりと腹を立てている。

 砂糖菓子のようにフワフワと揺れる、頼りない後ろ姿を追いかけて、私も歩き始める。けれど、二人の行き先が違うことを、私は知っている……。
 
 早朝の日差しが、カーテン越しに部屋を薄明るく照らしていた。
 私は目頭を拭って、起き上がった。
 冬の朝。乾いた埃の匂い。鈍色の視界に、徐々に世界が広がる。
 今日の現実が始まる。
 
 海野藻屑。オトナにならなかった女の子。

 あの子は、私の世界の一部になったんだ。

 私は、受け入れられないことを、受け入れられないまま生きてゆく。
 私にはもう、魔法が無い。

 現実を、あの子が生きられなかった世界を、私は生き抜いてゆく。

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