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「やれない」スタンス


最近、岩手県の宮古という地域にあるゲストハウスの価値を高める、という企画を考えるインターンに参加している。



コロナ禍でこの一年間は授業と趣味を行ったり来たりしていただけというか、課題提出には追われたことはあったものの切羽詰まったり、のめりこんだりする瞬間はほとんどなかったように思う。それがこのインターンに参加してから一変した。時間が足りないとはこういう感じか、と卒業設計以来の焦燥感に駆られている。こんなに時間に追われる生活は久々だ。


昔から二つのことが同時にできない性格なので、就活・バイト・読書・インターンというマルチタスクは正直とってもしんどい。三日坊主とは無縁の人間であるのも相まって、なかなか切り替えられず、少し前に考えていたことがダラダラ頭の中にこびりつき、いつも頭の中がドロドロしている。「シンプルに考える」ということが、こんなにも向いてない人間になる予定ではなかったはずのに。スッキリとした閃いた!みたいな瞬間は、最近全然なくて日々あれこれ考えては、どれも課題にピッタリ当てはまるものではない。そんなジレンマに苛まれ、どんどん溺れていく。


ゲストハウスの価値を高める時もそうだ。色々な要素・視点が滲んでどれも横断的に考えてしまいがちなので、ピンポイントなアイデア、オセロで白黒反転させるようなものを考えるのはあまり得意ではない。すぐ課題がたくさん並んでいるちゃぶ台をひっくり返そうとする。いつの間にか話が大きくなり、求められている課題のサイズ感とずれが生まれ、「違う、そうじゃない」と諭される。その度に、自分の土台が見えないとことから崩れていくような気がしている。足元ばかりがスカスカのジェンガのような自分の足元を見る度に、上を向くことでしか紛らわせることしかできない自分にも気が付く。


それでもまだ立っていられるのは、自分がこれまでやってきた時間があるからだろう、そいつらを裏切ることはなかなかできない。求められていることから逃げることもできず、やってきたことを自分で否定することもできない。今の自分を支えているのは、やれないことばかりだ。そいつらに引っ張られ、絶妙なバランスを保っちながら画面に向かっている。いつの間にか自分らしく息をすることを、だんだんと忘れていく。



そんな毎日は不満だらけのように思えてもくるが、私は案外嫌いではない。悪くない、とも思う。この一年ずっと感じれていなかった充実感がすぐ近くにいるような感覚が、割と自分のなかでモチベーションなのかも知れない。充実感を手にする必要はないのだ、きっと。


「その次の日、また次の日、それでもおれはプレゼントは来るって信じ続けてるから。来なくなっていいんだよ、別にそれが来なくたっていい。それでも確信してる、信じ続けてる。」


ラップスタア誕生の¥ellow Bucksの言葉を思い出した。こんな偉大な言葉を今の自分の当てはめるなんておこがましいが、成功する・しないを置いといて、たぶん今の先にはやりきらなければ味わえない充実感が待っている。そんな気がしてならないと自分に言い聞かせ、そう信じ続けている。


何かを実現するための理想と現実を目の当たりにし、相変わらず自分のちっぽけさしか感じられていなくて、やるせない気分にはなることばかりだが、それでも今動かしている手を止める理由には何一つとして当てはまらない。そういうものだからだ。生きる上でうまくいかないことは前提だ、だから、うまくいかないことはしない理由にはならない。そう思った。


「おれがやるよ、あんたがおれにやってくれなかったことは、全部おれがやってやるよ。何でかわかるか。」

「そういうもんだからだよ。」


「俺の家の話」の中で出てきたセリフだ。どうやら人生において「そういうもんだから」で救われることもあるみたいだ。うまくいくことがデフォルトで生きるのはもうやめることにする。うまくいかないのは木からリンゴが落ちるくらい当然のことで、調子がいいこと自体キセキみたいなものだと思おう。


少しだけそう考えてみただけで、自分らしく息をすることを思い出せた気がする。そんなことを考えながら、久々に息を吸っているにも意識を向けてみた。こんなにも絶えず息をしている自分に改めて驚いては、今は冬なので鼻を通る空気が冷たい事にも気づく。生まれた瞬間、息をしているだけであんなに喜ばれた時代のことを、もう思い出すことはできないが、それを今まで続けてきた自分を、今は少しだけ誇らしく思える。

これからどんなにうまくいかなくたって、想い描いていたものとは程遠くたって、息をすることはうまくいっていると思えるように、やれないことに自分の支えてもらいながら、明日もまた日々に溺れに行こうと思う。潜って潜って、次また息をするときの空気はどんな味がするのか、潜りながら想像する。例えその瞬間がずっと訪れなくても、その味を想像していることだけでも、明日もまた溺れる理由になる。


それはどうしてか。




そういうものだからだ。



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