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いつの間にか、聞き役になっているあなたへ

気づけばいつも「聞き役」


自分の話を聞いてもらいたいのに、気づくと話がすり変わり、
いつの間にか聞き役になっている。

「あ、私のこと?」と思った方、少なくないはず。

私の話だって聞いてほしい!

心の中ではそう叫んでるのに、口に出すことはまずない。
唯一、お願いするとしたらオットくらいだろうか。
と言っても、最近は私の気持ちを知ってか、
かつてのように話を横取りしなくなった。

他は……、もう諦めた。
実母しかり周囲は「聞いて、聞いて」という人種ばかりなので、
すっかり自分の話をしなくなってしまった。
話をしたところで流されておしまいなので、
だったら最初からしなくていいや、と。

いつの間にか聞き役になってしまうタイプは、
家庭というコミュニティの中で、
幼い頃から親の愚痴や文句のはけ口になっている人が多い。

私の場合、拒否反応を示しても、
「あんたしか言う人がいないんだから」と一喝されて終了。
(私は一人っ子なので)
経済力がない子ども時代は、親に従うしかないので、
黙って母の言うことを聞くしかなかった。

また、がんばって自分の話をしても、
話をすり替えられてしまうので、諦めた後、
次第に自分の話もしなくなってしまった。
そして聞き役に徹してしまう。
恐ろしいことに、経済力がついた今もそれが続いている。

聞き役はインタビュアーには適任なんだろうけど、
プライベートとなると少々しんどい。
インプットだけで出すとこがない。
つまりずっと「心のふんづまり」状態なワケだ。

「話を聞いてもらう」相手は目の前の人でなくてもいい

だからこうして「書く」ことで、
自分の思いを精一杯伝えているんだと思う。
書くことは、何より自分の思いを伝える最高の手段だから。

カッコイイこと書いて、賞賛もらおうなんて考えていない。
ただ「話を聞いてほしい」という思いがキーボードを打たせている。

SNSがなかった幼い頃は、ぬいぐるみや人形を相手に話をしていたっけ。
あの頃はずっと「空想の世界」に生きていたような気がする。

物心ついてからは、もっぱらノートに思いを綴っていた。
母は子どもの日記や、郵便物を見て当然という
考えの持ち主だったので、万が一、
見られてもいいよう小説仕立てにして。

こう書くと、親にすら話を聞いてもらえない、
ものすごいかわいそうな人と思うかもしれない。
しかし、よくよく考えると、聞き役だったからこそ、
今こうして物書きとして、
ごはんを食べていけるようになったように思う。

「話を聞いてもらえない」
「いつも聞き役ばっかり」


そんな不満ばかり抱いていたけれど、
結果としてプラスになっていたんだなぁ。

人生ってどこかで帳尻が合うようにできているというけど、
最近になって「ホントにそうだ」と思う。

◇◇◇◇◇

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