映画「プラットフォーム」の考察というか感想。VTuber目線で考えてみた。
こんにちは!VTuberの拝師ねるです。
プラットフォームという映画をAmazonプライムビデオで観ました。
中々おもしろいと感じた映画で、見終わって数々の考察を見た後でも謎が多く残っている映画です。
今日はその映画の紹介と、僕なりの感想を書いていきたいと思います!
ネタバレ有りとなりますので、気になった方は先に映画を観てから戻ってきてね。
映画「プラットフォーム」のストーリー
主人公はひとつの部屋で目覚めます。
その部屋の真ん中には穴が空いており、上にも無数の部屋が、下にも無数の部屋があります。ひとつの部屋に2人の人間がいるようです。
この建物というか空間の通称は「穴」。
その穴には、上から下へと大量の料理が乗った台座が降りてきます。自分の部屋にその台座が来たときに食事をとれます。
上の階層の人は好きな食べ物を好きなだけ食べられます。
中層あたりの人は上層の人たちの食べ残しではあるが、最低限生きる程度には食べられます。
下の階層の人に回ってくる頃には、もう食べ物は残っていません。
水が出る蛇口とベッドはどの部屋にもあります。
「穴」のルール
この「穴」にはルールがあります。
1ヶ月で自分の割り振られる部屋が変わります(上の階層にいた人が、次の月には下の階層になったり、その逆もありえます。どういった基準で割り振られるのかは明らかにされていません)
一人ひとつ、好きなものをこの部屋に持ち込んでいます。(主人公は本を、最初の同室者は刃物を持ち込んでいました)
台座の上の食べ物を部屋にストックしようとすると部屋の温度が変化していき、死ぬまで上がり続けるか下がり続けます。
ひとりひとりに定められた期間が経過すると外に出られるようです(その際、なんらかの認定証がもらえるようです)
望んでこの建物に来た人と、ほぼ強制的に入れられた人がいるようです。
16才以下の子供はこの穴に存在しないようです。
下の部屋に降りることは可能です(上にのぼることも協力し合えば可能)
「穴」の存在目的とは
この「穴」が存在する目的は不明です。
主人公は「認定証」をもらうために、望んでこの穴にやってきましたが、穴については何も知らないようです。
主人公は最初は中層にいて、嫌悪感を抱きながらも食べ残しを食べ、同室者とも比較的仲良く過ごします。
次は下層に移され、同室者に殺されかけます(食べるため)。しかし上から降りてきた人に助けられ、逆に同室者を殺して食べ生き残ります。
次は上層に移され、その「穴」の元従業員と同室になりいろいろ情報を得ます。
ここが一番のポイントだと思うのですが、本来その食事は全員分あるそうです(ただし、本当かどうかは不明)。つまり、上の階層の人たちから、最低限だけ食べていけば、下層にも食べ物は行き渡り全員が生き残れるということです。
ただ、上層にいる人たちも次は下層に移されるかもしれない、贅沢できるときにしておきたいという気持ちや、絶対的に安全で優位な場所にいる、といったところから、他人のこと特に下層の人たちのことなんか誰も考えません。
下層の人たちを救おうとする者
そんな中、主人公と同室となった元従業員の女性は、下の階の人たちに呼びかけ続けます。「取り分けた分だけ食べてくれ、余分に食べるな。それをそのまま下の階にやってくれ」、つまりこの女性は、下層の人たちを助けるために、自主的な「ルール」を作ろうとしたんですね。ただ、下の階の人たちは聞いてくれません。それは強制力の無い「ルール」だったからです。
その行動に感化された主人公は、その「ルール」に「強制力」を付け足します。言うことを聞かないと、明日の料理を全部クソまみれにしてやる、と。そうすると下の階の人たちはしぶしぶ言うことを聞きますが、それが下層まで続いたかどうかは確認する術がありません。
そして、次に主人公たちは下層に移されます。しかも、元従業員の女性が言っていた最下層よりもさらに下の階。この元従業員も、本当の情報は何も知らなかったんですね。つまり、本当に食事が全員分あったのかすら疑わしいということです。そしてその女性は自殺してしまいます。
救うために多くの犠牲を生むという矛盾
そして主人公は再び上層に移されるのですが、新たに同室となった人と、下層に降りていくことにしました。取り分けた分以上に食べようとするものには暴力で従わせようとし、たくさん殺します。目的は、下層の人たちを助けるといったところよりも、手付かずの料理を残し、穴の「管理者」にメッセージを伝えるため。
そして主人公は途中でボコボコにされたりしながら、最下層の333階に辿り着きます。そこにいたのは、この穴にいるはずのない「子供」。主人公は手付かずの守り抜いた料理をその子に与え、「管理者」への代わりのメッセージとして台座に子供を乗せ、エンディング、となりました。
イデオロギーに対する皮肉であるという考察
考察やレビューをみて多くあったのが資本主義社会に対する風刺である、という内容。確かに僕もそれは感じました。悠々と過ごす上層の人たち、不満はありつつも生きられる中層の人たち、生きるためにはなんでもしなきゃいけない下層の人たち。貧富の差を表しているわけですね。そして、この仕組みを変えられるはずの上層の人たちは、下層の人たちのことを気にもかけない。だって自分たちはいい生活ができているのだから。
そこに共産主義的な考えでこの世界の人たちを救おうとする人が出てくる。でもそれに従わせるためには「暴力」に頼るしかなく、そこには矛盾が生まれ、されにそれは結局自分に返ってきてしまう。
こういった、イデオロギーに対する皮肉、っていうのがひとつのテーマなのかなと感じました。
最下層にあったのは「希望」なのか
そして最下層にいた、いるはずのない子供をメッセージとして託すという流れ、主人公はここに至るまでに死んでいたという説が濃厚なのかなと僕は思っています。最下層に子供ひとりで生き残れるわけありませんし、そこでは料理をおろしてはいけないというルールも適用されませんでした。つまり、この子供は主人公が夢見た「希望」を象徴しているのでは、ということです。
あるいは、「管理者」側の用意した最後の希望なのかなとも思います。救おう、変えよう、としなければ辿り着けない場所でもあります。そう行動したものにだけ、希望を見ることができるのではないか。そしてまた、それはこの穴の仕組みそのものを変える「パンドラの箱」でもあるのかなと。
どちらにせよ、子供に夢を託すというのは、身勝手な大人のすることだと思っているので、胸クソエンドなのは間違いありません。
人間はちっぽけで不完全なものである
この「穴」という施設は「自然」や「宇宙」を表しておりそのルールは絶対である、中に居る人間がそこに自主的なルールを作ろうとする様は、「国」であり「政府」なのかなと思いました。
結局それは、人間が身勝手に作ったもので、最終的には自然に淘汰されてしまうのだというメッセージに僕は見えました。
そして最後に子供に希望を託す=神頼みする様はなんとも滑稽なものであり、結局人間にはそんなことしかできないといったことでもあります。
「穴」は蠱毒(コドク)の壺ではないか
僕ならこういった状況のとき、どうするか。
まずは自分の身の安全を確保するために、法則性が無いのかを探すと思います。僕はずっとその目線でこの映画を観ていて、明確に語られてはいませんが、「人を殺す」ことが上層に行く条件かなと思っていました(弱者から搾取することによって資本主義社会の強者になるという意味でも)。むしろ「良いこと」をすると下層に落ちるのかなとも思いました。(実際に殺しまくっていた女性は常に上の階層にいた)
この「穴」は刑務所的なものであり、その目的は更生ではなく悪の強者を選定するためのもの。蠱毒(コドク)の壺、と言われるものなのかなと解釈しました。
ありとあらゆる毒虫をひとつの壺に入れ、やがてもっとも強い毒を持つ一匹だけが生き残り、地上最強の毒を持つという言い伝えが東洋にはあり、これを「蠱毒(コドク)」といいます。
VTuberオーディションがこの「蠱毒(コドク)の壺」に例えられることがあります……
その最強の毒を持つ人間である証、それが、この施設を出るときにもらえるという「認定証」なのかなと思ったわけです。
そうであるならば、オーディションに群がるVTuberのように、この「認定証」を欲しがる人がいるのも納得です。
僕なら「革命」を起こそうとする
で、僕がこういった状況になればどうするのか、ですが、まずは徒党を組もうとすると思います。みんなで最上階に行って、管理者を倒そうとけしかけます。下層にいればいるほど、この徒党を組むというのはやりやすいんじゃないかなと思います。
ひとつ上の部屋の人と協力すれば上ることも可能なので(そういった描写が映画の中にもありました。上のクソ野郎に落とされてましたが……)
ただ、予想されるのは、上層にいる人たちはこれを受け入れるとは思えないので、下層部の徒党 VS 上層部の阻止(+何もしない中層の人たち)、といった図式が生まれるはず。
中層部の人たちにはここが最下層になるぞと脅し、上層部の人たちにはここのルールを変えたときにさらに良い利益を与えてやると偽のエサをぶら下げる。そうして革命を為そうとすると思います。
ただ僕にはそこまでの器量はないので、途中で誰かに裏切られてバッドエンドとなりそうです。
行動しなければ待っているのは「淘汰」
この映画を観ていて大きな謎だったのは、多くの人間が上への移動を諦めている、という点です。上ることが可能である中で、なぜそうしようとする人がほとんどいないのだろう、といった疑問です。
でもこれはある種、当たり前で、上層はそもそも落ちなければ安泰であること、中層も上ろうとして死ぬぐらいなら現状維持でいいこと、下層は極限状態で生き残ることを最優先に自分のことだけを考えなくてはならず上にのぼるための「協力」という思考が生まれない、といったことがあるのかなと思います。
これは、現代社会においても同じだと思っています。
上にのぼろうとするということは、落ちるリスク、争うリスクが増えるということ。
理想や夢は幻想であり、それを目指すことは大きな苦しみを伴うこと。
しかし、最下層に希望があったように、例え失敗して落ちても、それが行動した結果であればそこに希望は灯ります。何もせず落ちていっただけでは、ただ淘汰されて終わりです。何もせず落ちなかったとしても、それは淘汰される順番を待っているだけです。
僕がVTuberグループを作って、理想を掲げて活動しているのは、まさにこの「革命」を起こそうとしていることなのかな、と再認識させられる映画でした。
だからこそ、僕はVTuberとしてもっともっと上を目指していきたいなと思った!そんな感想を抱きました!
観る人によって、いろんな感想が生まれる映画かなと思うので、少しグロテスクな描写もありますが、ぜひ皆様も観てみてください。そして、感想を僕にも教えてね。
VTuberの拝師ねるでした。またお会いしましょう!ばいばい。
VTuber拝師ねる
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