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LGBT考

若い子たちのトランスは中性的だが、おっさんのそれは両性的だ。その肉体の性で長年月を生きたのだから、そう簡単に移れないし、まして消すことは難しいのだろう。
LGBTの表記はLGB・Tであるべきと、ことあるごとに、あちこちに、何十回と言ってきたけど、なかなかそうならない。前3つは相手のことで、Tは自分のことだ。これらは並列でない。LT、GT、BT、ということがありうる(なんかクルマのグレードのようで、ちょっと面白い)。

さらにTには、100%の移行性だけでなく、中性、両性、無性とがあり、わからないとする不可知性まであることが明らかになり、LGBTQAXならある程度の網羅性が確保される、とかいう。何を言ってるんだかだ。この複雑怪奇ぶりがまたぞろ端へ端へと彼女や彼らを追いやる。どう表記すべきかなどもはや不可能で、名付けなきゃいいだろうとさえ思う。

TL(男性から女性の100%トランスでL)だったら、その対象はストレートの女性のこともあれば、自分と同じトランスした女性じゃなきゃならないという人もいるだろう。性表現(つまり見た目)が女性でないと、この二人はゲイに見える。が、違うのだ。Lなのだ。
女性から男性の100%トランスでB、はもちろんあり得るし、男女半々の中性意識も、男女100・100の(精神的)両性具有者も、どっちも0だとする性の全否定者もいるし、また期待を裏切るが如くそれらの人々がBとは限らなかったりも、する。性自認はそれら色々であっても、ある特定の性、ストレートしか好まないということがありうる。

たとえばマツコデラックスは両性の持ち主と(テレビを見る限りは)思えるが、ストレート男性にしか興味がなさそうである。片想い以外にはあり得ないということにならないか。マツコデラックスを好きになるなら、ストレート男性とは言えないからだ。マツコデラックスがたとえ100%のトランス女性だとしても、だ。この傾向を名付ける言葉は実は、ない。トランスした女性が好きな男をなんというのか。彼女以外にも様々な性のあり方が好きならBで良いが、トランスジェンダー女性のみが対象となる、という人はあえていうならストレートに近いのかもしれない。が、ストレート連中は彼を決して仲間(同じ範疇)とは見做さないだろう。

おそらく男でも女でも完全なストレートであれば、このわたしの話に着いてはこれまいな。相当なリベラルでも、これは無理だろう。

続ける。
mtfはftmを好きになるのだろうか。わかりやすくすると、トランスして女性になった人は女性として、女性から男性になった人を、好きになるだろうか、と問うている。男性であることに違和感があって女性になった。女性になったんだから、ストレートの男性を好むのだろう?と思いたくなるが、それではマツコさんの例のように、相手がいなくなってしまう。

mtfがftmを好きになることはケースとして少ないように思う。それは人口が少ないからだろう、出逢うケースは稀だからだろうとも考えられるが、日本にはこの文化をもろに押し出した街場もあるし、コミュニティもあるし決してそうとはいえない。むしろ出逢いやすいとさえ言えるかもしれない。
しかし、このトランス男女が愛し合うのだとしたら、元の性でも移った性でもいずれにしてもヘテロ(自分とは異なる存在)として愛し合うのだろう。肉体は男性でも女性として、肉体は女性でも男性になった人を、愛する。はたから見たら、普通のカップルだ。が、自認の性は逆だ。愛し合ったならじきに、自認の性などどうでも良くなりそうな気もするが、おそらくそうではない。きっと厳密に、あなたは男でしょ、君は女だろ、と規定しあって過ごすのだ。

これがもし、双方ともに男女半々の中性への移行だったらどうか。今度はヘテロ型ではなくホモセクシャル傾向になり、相手は自分と同じような存在でないといけない。中性なら真ん中あたりのバランスで、無性なら性的な何かは互いになるべく表現しないようにするのだろう。

なんだか七面倒なようだが、それはストレートの人間から見たものだ。当人たちは面倒なはずはない。だって、自分の「それ」を求め、相手の「それ」を好きになったのだから。ストレートではない「それ」。シンプルでないコンプレックスな(複雑という意味の)「それ」。

私は、「それ」を好むので、よくわかるが、まさにストレートに考える(にしか考えられない)なら、性なんてどうでもいいではないか、に行き着く。自分の性がどうでも、相手の性がどうでも、好きなら好き、嫌いなら嫌い。それだけのことじゃないのかと。
これがストレートの限界だ。ストレートからは見えないのだ。目では見えていても、見えない。微妙な違和感、微細にして切実なる差異。これらがほとんど見えない。

いったい、どっちが歪で、どっちに欠損があるだろうか。

えんえんとここに、どうでもいいようなことを書き連ねたのは、ひとえにこれを言いたいからだ。

私はストレート、関係ないから見えなくていいもん、そういう男女が大多数なんだし、というのは現代では開き直りのひとつだ。少数なあり方に対する感度の低さを露呈して、いいでしょそれで、と言ってるんだから。

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