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ありのままを見る目と全体性と調和

今は沢山の情報が溢れていて

その情報に溺れてしまうってことがあると思う


何かの事象を自分で分析する時


色々な視点から見ないと

その物がどんな形をしていてどんな性質をしているのかがハッキリとわからない


それを見極めないといけない


二つだけの視点で表と裏を見た気になっても

多面的なものなら複数の視点がないと
その形がわからないように


それは見えてるものだけでなくて
見えない所までの視点も必要になる時もある


そこには想像力みたいなものが必要になる


しかし憶測が間違うこともある

それは自分の思い込みや決めつけが邪魔をする

時に過去の経験すら邪魔になるって事を
知っていなければならない


大きな目で歴史をみるのは大事だけど
自分の生きてきた短い過去の経験が今に通じるとはかぎらない

経験抱負であればある程それをやってしまいがちだけど、そこに絶対性を持たすのも危険なんだっていう視点も大切

諸行無常とか万物流転とか

変わらない森羅万象の摂理とか宇宙の真理みたいなものはあるけれど


それから外れた自分の中の真理なんてあてにならないかもしれないのだ


自分を信じてをはき違うと変な結果になる


ある答えが前提になっているとその前提を覆さない情報ばかりを集めて、覆す情報は曲げて捉えてしまうということがある


だからその最初の答えも疑った方がいい

ありのままをみるっていうのは
意外に難しいのだ


その人の知識の量や正解を出す感覚的な経験値の差も個人によって違うから


頭がいいといわれてる人も間違う事だってあるし、知識も生きた知識じゃなかったり、汚れた知識では物事の道理がみえてこない


誰かの意見もその人のバックグラウンドみたいなものに左右されて信じてしまったり

偉い先生が言ってるんだから間違いないとか

お医者さんが言ってるから間違いないとか

その考えは非常に危険だと思う


あと感情で感じ悪いからこの人の意見は信じないとか(笑)

感度の鈍った直感っていうのは
事実を見誤るって事がある


直感を信じろなんていうけど


鈍っている直感はその鈍った本人が気づかないから本当は危険なのだ


今僕が勉強している古典医学のアーユルヴェーダでは治療学の教えの中に

その時の結果だけでなくそれをすることで後々どうなるかを必ず見なければいけないというのがある


不確定要素が多い未来を予想するのは難しいのだけど、根本を間違うとその場しのぎが後々全体を悪くするって事がある

一人の生命だけを考えてもそうだし
社会という大きな範囲でみてもそう


何事もそれが根本的にそもそもあっているのか?
っていう視点をなぜか見落としてしまう


データやエビデンス
情報の精査
多角的な視点


どれも大事だけど

部分的な解決法が全体としてみたらどうなのか?

っていう視点が今はすごくおざなりになってる気がする

あともう一つ今大事なの一人一人のバランス感覚と

違いを知った上での個の尊重

そして全体をみる目

その上での「調和」なんじゃないかなと思う

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美容師をしています。その他にアーユルヴェーダのカウンセリングをしたり、オパというセラピーをしてます「スウ」です

このnoteでは心が軽くなったり、ほっこりしたり、あたたかい気持ちになれたり、笑えたり、考えさせらたり
何かしらの心が動くような言葉を紡いでいきたいです。

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