noteで記録daily#10 人間が言葉を話す究極の理由って何だろう

っていう話です。
急にどしたっていう話ですが、ついさっきこんな時間まで友達と電話をしていた時に聞かれた問い。
僕は真剣に考えたけど、真剣に絞り出した答えは
「愛」です。
勿論ふざけているつもりもなく、笑われてもなんでもいいけど今自分が思うのはこれだったよ。
考えたこともなかったけど、人が言葉を使うのは一つの求愛行動でもあるのかなと思う。(それだけじゃないけど)
例えば蛍は光って求愛し、クジャクは羽を広げて美しさを表に出すし、蝉も鳴くしかえるも鳴く。
勿論言葉が話せることだけが求愛の為ではないけど、一つ感じたこと。
言葉を通じて情も芽生える気がする。
動物は行動で同じ動物同士若しくは、違う種類の動物でも仲間意識のようなものが生まれるけど、
人間は行動と言葉、そこには気持ちもあるけど、その気持ちを伝える言葉がやっぱり肝になってくると思う。
そんな言葉を伝える大本は情報だったりするけど、情報は洋服選びに近いなと感じた。
どんなに素敵な洋服があったとしても、その人に似合っていなければただの荷物になるのかもしれない。
仮に似合っていたとしても、時間が経って年齢を重ねればその服の寿命もでてくるだろう。
情報も同じなのかな。古いものに執着して心地よいからと言っても、周りが微妙な空気を醸し出せばそれは古い情報だろう。
それで私はこれでいいと思える本物か、ただのまがい物の人になるか結構別れたりする。
「言葉」と「情報」は対の関係性なのかもしれないけど、どちらとも偏ってはいけない。常に意識的にバランスをみて判断して人も気持ちもくみ取ることが「愛」になるんだと、勝手に思う今日この頃でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?