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【俳句エッセイ】生活と季語|男雛・女雛

 その人は、小学生の息子と幼い娘を連れ、鞄ひとつで逃げてきた。地元で一目置かれる夫には経済力があり、デキる男の常で口も立ち、つまり押し出しがとても良かった。家庭内という密室で繰り返される夫からの身体的・精神的暴力を彼女がどんなに訴えても、周囲の誰も、実家の両親さえ信じてはくれなかった。

 そんな1人の女性とその子供たちが、これまでとは別の人生を生き直すためのサポートをする人たちが世の中には、いる。かくまい、安全な住居と、話のわかる仕事の雇い主を探し、夫に探し出されないよう子どもを改名させての転入学許可を取りつけ、他にもさまざまな交渉事や手続きを行う過程には、心許ない彼女にいつも影のように付き添う「誰か」も、いた。

 当時の私はその分野の知人に頼まれ、「誰か」の1人として彼女と出会った。各所の立場ある人たちに頭を下げ、恐縮してばかりの彼女も、2人だけになると友人に愚痴るように本音を漏らしてくれることがあった。以前は大きな新築の家に住んでいたから、ようやく見つけてもらった新居が年期の入った木造アパートで溜息が出たこと。職場の上司に言い寄られても、口をきいてもらった仕事だから、むげにはできず困っていること。まだ幼い娘は状況を理解することができなくて、名前を変えるのを納得してくれないこと。まもなく入学する小学校でその子が本名や住んでいた地元のことを喋ってしまったら、そこから居場所を突き止められてしまったらと不安になること……動くたび軋む音がするおんぼろアパートの一室で私にお茶を入れてくれる彼女からは、「いいとこの奥さん」らしい柔らかな雰囲気が滲み出る。男の子はいつも明るく腕白なようでいて、子どもなりに気を遣っているのか母親や私たちを困らせるようなことは決してしない。不自然な要素がちぐはぐと重なり合い、いつも張り詰めていたその空気感を言葉で表現するのはとても難しい。ただ、「自由」と引き換えに彼女がその時支払っていた「代償」の大きさが、地元では誰も信じてくれなかったという真実をじゅうぶんに真実たらしめていたことだけは確かだ。彼女が決めた、隠れて生きるための新しい苗字は、ありふれた私の苗字と同じだった。別に私と同じにしたと言われたわけではないけれど。

 今では豪華な雛壇飾りが売られ、家族イベントとして定着した雛祭だが、もとは中国から入り、日本では平安時代、紙人形を作り、海や川へ流した厄払いの行事が始まりと言われる。いつしかそれが宮中の女の子の人形遊びと合体し「流し雛」となった。いにしえの人々は、季節の変わり目の危うい体感を身のけがれとして人形に託し、女の子がこの先の難事から守られるようにと祈った。雛壇を家の中に飾るようになったのは江戸時代以降で、武家の嫁入り道具として高価な雛人形を持たせるのはその家のステイタスでもあった。

 今や私にとり雛人形は、雛壇飾りよりも流し雛のほうがしっくりくる。雛壇の上席におわしますお雛様は、家制度のあれこれを私に思わせるようになり、雛壇を見る心境がずいぶんと複雑なものになってしまった。彼女とは、私の短い役目が終わりそれきりだ。関わり方の性質上、その後を知ることは許されていない。「女雛」「男雛」は「雛祭」の子季語。流し雛を流す機会はまだ訪れないがいつかその時、私は彼女のことをきっと思い出すだろう。【エ】


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