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〈俳句日誌〉難しいからこそ不思議だし、知りたくなるー人間関係ーあとでもまた考えたい

蟻が喰らふ残る虫は誰がせなか 苑慈

2021/9/22 夏には盛んに飛んでいた蜂が季節の移ろいで今や道端に死骸となって転がっていました(前回投稿もご参照ください)。今日はその大きな蜂を、小さな蟻たちが群がって食べていました。虫たちにとってはお互いが生きるためのいのちの連鎖です。しかし私には、力の弱いものが群れになって、強い力を誇るひとつのものを倒している人間の姿が重なって見えてなりませんでした。自分たちの力で既存勢力を打倒し、新しい時代を築いてゆくことで自らが生きやすい世界を実現していくというポジティブな解釈を与えうることと裏腹に、衰えゆくものの憐れさや儚さをも感じました。

 人間関係って難しいですね。大人のスタートラインをちょっとばかり踏み越したくらいの時間を生きてきたいまですが、何だか人間として社会で生きていくのってこの言葉に尽きる気がします。どうしてなんだろう。それはまた後でじっくり考えてみることにします。

【気づいてくださってたらうれしいポイント】
ー「姉」と「背中」ー
 「せなか」をひらがなにしたのには理由があります。「せな」に「姉」、「せなか」に「背中」という語をかけたからです。
 「せな」は普通、女性が身近な男性(夫や兄など)を親しみをこめていう言葉(『岩波古語辞典』補訂版)ですが、近世に「姉女」と書いて「せなぢょ」と読む用法もありました(『現代語古語類語辞典』)。少々ムリはあるかもしれませんが、「せな」は「姉」をあて、親しい年上の女性を表すことにしました。「せなか」はそのまま「背中」です。その女性の背中を見て私はこの数年でとても大きく成長できましたし、感謝しきれないほどいろいろな場面で助けていただきました。そして何より、日々の生活がすごくすごく楽しかったです。その方の思いが、少しばかり世代の違う人には伝わらないこともあるのだなあと、こういったものが時の移ろいなのかなあと、思った次第です。
ーアリの「義」ー
 私は一方の立場に寄ってしまっている状況ではあるのですが、少し世代の離れたこれからの新しい世代を担っていくその人たちも、その方に対してはもう少し違う形のとるべき道があったのではないかと思わされました。

【あ、そういえば】
 前回の句を作る前くらいに、歳時記をちゃんと買いました笑。ぱらぱらとめくっているだけでも、新たな発見があって楽しいです。言葉選びも広がっていきました。以降、古語辞典や各種類語辞典、天気・気候の図鑑などを集めていっています。読むのも、そして本が枕元に溜まっていくのを眺めるのも楽しいです笑(俳句をじっくり考えるときはいつも寝床なので)

【最後に】
 今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。あまり明るい話題ではなかったので、不快に感じさせてしまいましたらすみません。戯言失礼いたしました。
 さて、あらかじめ次の内容を宣言すると、もうそれで満足してしまい全く筆が進まなかったので、次回予告はやっぱりしないことにします笑。気ままにゆる〜く、書いていきたいと思います。次回以降もおつきあいいただけると嬉しいです。
 それでは良い秋の夜を。

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