呼ぶにはとおく。振り向くにもとおく。思い出すにもとおく。

 過日、排気口新作公演『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』が無事終演した。改めて出演者・スタッフ、そしてご来場頂いた皆様に感謝である。ありがとうございました。

 思えば6月から名前のない役者達の稽古が始まり、下旬から排気口新作公演の稽古が始まり、2つの作品を同時に稽古してきた。排気口新作公演の方は相も変わらず私の遅筆によって台本作業がズレ込んでしまった。何週も台本がパタリと進まない時期もあり出演者の皆様には迷惑をかけてしまった。

 メモによると6月2日から排気口新作公演『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』の台本を書き始めて、書き上げたのは8月6日の早朝だった。酷い腰痛に悩まされながら書いた前半部分。追い詰められてエナジードリンクばかり飲んでいた中盤部分。パタリと書けなくなって酒ばかり飲んでいた空白期間。そうして朝の光の中で書いた終盤部分。こうした記憶も振り返れば遠い。もう手も届きそうにない。伸ばしたりしないけど。

 3年振りに台本を後日noteで販売しようと思う。偏に私が台本を販売しないのは150の注釈を付ける作業がとてつもなく大変だからである。しかし今回の台本作業に当たって書かれた膨大なチラ裏のメモを捨てるには少しだけ惜しい気がする。公演の疲れも少しずつ軽くなってきた頃合いである。ここはえいっと久しぶりに台本を販売しよう。と、思った訳だ。カットした全ての台詞&私が150の注釈を付けた『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』完全版は作業が終わり次第noteで販売します。その収益は珍しく私に全て入るので買って下さい。公演はみんなで作ったものだが、この『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』完全版は私一人によるものだ。全く違うものになっていると思う。勿論今まで通りこの販売台本は出演者・スタッフ・排気口の方々も購入しないと読めない。

 しかし、もしも口座に手違いで4,630万が入金された場合は『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』完全版は販売しません。ネットカジノして遊びます。

 公演を振り返るともうずっと遠く感じる。一瞬の時間の様だ。あの時の風景はもう二度と戻らないだろう。演劇は砂の城みたいだ。浜辺で作り上げた砂の城みたいだ。波が来る前に作り上げて、波が全てを攫っていく。後には何も残らない。何の痕跡も気配も残らない。しかしその跡地で声を上げている人がいる。そっと近づいて耳を傾ける。その人はこんな事を言っている。「ここにはかつて美しい時間があった、確かにここには美しい時間と美しい言葉があった」

 私たちは、観てくれた貴方も、いつかこの作品を忘れてしまう。いつか必ず忘れてしまう。あの時の全ての時間は、まるで消える為に生まれた光だった。攫われる為に身を乗り出す柔らかな身体だった。届いた瞬間に消える言葉の全てだった。それを笑える一瞬の歩み寄り方だった。他に何があるだろうか。あの舞台の上で。永続的な何かがあっただろうか。やはり無いのだ。

 私たちは、私がこうして今までも掲げた言葉通りに。私がたった一人でパソコンの前で打ち付けた言葉通りに、約束されたシナリオ通りに。それは「どうやって手を握り直すのかではなく、どうやって手を離していくのか」

 それでも時間は前に進んでいく。離した手に握らせた僅かな美しさとくだらなさを想いながら。確かな感触でそれでも時間は前に進んでいく。これから先、貴方が例えば哀しみで進めなくなったとしても、それでも時間は進んでいく。どこへ?前に。

 もしも、これからもう二度と貴方と会わないとして、それでもフトした瞬間に思い出すときがあったとして、その時に笑えるのなら、少しでも、笑えるのなら、その理由に名前を付けるのはやめよう。時間に逆らって思い出すのも浸ることも全部やめよう。そんな事したら「呼ぶにはとおい、振り向くにはちかい」まるでこの言葉が叶わなかった祈りの別称みたいじゃんか。

 稽古が始まってからずっと同じ位置に挟まれていた栞を1ページでも前に進める晩夏の日差し。今はただこの豊かさを信じよう。私はね。貴方は?

また劇場で会おう。元気でね。 排気口 菊地穂波

 

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