私の好きな3人組。

 気が付くとすっかり暑くなった。寒さに顔をしかめていた記憶は薄れ、なにやら小さな抵抗の様にクーラーを付けている。今は夏の始まりなのか。それともまだ夏は始まってもいないのか。不安に首をかしげながら日々を過ごしている。

 奈良県は穏やかな自然溢れる東吉野村に立つ人文系私設図書館ルチャ・リブロのホームページにはこのような一節が記されている。『「役に立つ・立たない」といった議論では揺れ動かない一点を常に意識しています』

 出不精の私がいつか訪れてみたいと思う数少ない場所の1つである。しかしながら奈良は遠い。いつか鹿にせんべいをあげる日が来るのか。なんとも言えない所存である。

 私は図書館が好きだ。新しい場所に引っ越す際はまず図書館が近所にあるかを必ず確認する。今までに数少なくない素晴らしい図書館に足を運んできた(殆ど都内であるが)そうして本棚を眺めながら漠然とまだこんなにも読んだことのない本があるのかとワクワクする。

 ずっと前の話である。奈良からさらに遠く離れて長崎へ行った事がある。当時お世話になっていたゼミの教授からカンパをもらい卒業論文&制作のフィールドワークというのが建前である。行きの新幹線の中で宿泊をネットカフェで済ませばカンパで貰った金を酒代に充てられると、長崎までの道中、何度も喫煙所でほくそ笑みながら煙草を吸った。

 季節は夏。記録的な猛暑が続いていた長崎の暑さは東京の比ではなく、その日差しの強さに汗なのか涙なのかとにかく体中から水分を異常に放出する始末であった。こまめな水分補給はしかしそれは東京仕様であり、長崎の夏は東京におけるこまめな水分補給のゆうに10倍はこまめにしなくてはいけなかったのだ。その事をすっかり知らずにいた私はとうとう滞在2日目、長崎原爆資料館で熱中症によりぶっ倒れるハメになった。

 額に冷えピタを貼りながら、当時の私は息もたえだえそれでも長崎の街を彷徨い歩いたのだ。というのもかなりの強行軍であった長崎へのフィールドワーク。カンパを貰った手前は事後報告のレポートを提出しなくてはならない。長崎原爆資料から心配そうに送り出してくれた平和案内人のジイさんに手を振りながら永井隆記念館へと向かう私の足取りは一滴の酒も呑んでないはずなのに絵に書いたような千鳥足だった。

 万事の調子でも道に迷う事の多い私はこの時もまるで予め決められたように道に迷った。この炎天下の長崎の地において最も激しい罰である熱中症をその虚弱な身体に宿しながらも、カトリックでもあった永井隆博士の在りし日のようにただただ祈りながらひたすらに溶けた緑夫人のロザリオをこの目で見るために記念館への道を私はその歩みを止める訳にはいかなかった。

 その道中である。小さくポツンと立つ図書館を見つけたのは。小さな木造の1部屋しかないその図書館はまるで古い小学校の図書室の様であった。正に救いの船。小休止を兼ねて私は図書館へと入ったのである。不思議なことに室内には電気が付いていなくそれでもカーテンが開けられた窓から差し込む強烈な長崎の日差しでまるで光りに包まれているかのように眩しかった。

 簡素な貸出しカウンターと小ぶりな本棚。本当に小学校の図書室の様であった。本も児童書が多く、文庫本や単行本はオマケ程度にすみの方に追いやられていた。私は中央に置かれたテーブルに座り一息付いてからフラフラと棚を眺めつこのノスタルジックな雰囲気にやられてしまった。

 誰もいない。図書館には私しかいない。適当な児童書を机に広げて読むとも読まないとも付かない曖昧な意識の中で私はいつの間にか眠りに落ちていたのだろう。気が付くと夕暮れの光で真っ赤に染め上げられた図書館で私は来た時と同じように1人ポツンと佇んでいるのだった。辺りをキョロキョロしながらすっかり狐につままれた気分であった。

 遠くの方で夕暮れのチャイムが聞こえてきた。風が吹いてカーテンを揺らした。私はどこか不思議な気持ちでボーッとしていた。夏の暑さがみせた幻の様に感じた。机に広げた適当な児童書に目を落とす。それは西村繁男のイラストが印象深い福音館の科学シリーズの傑作『ぼくらの地図旅行』著者は那須正幹。また風が吹いてカーテンを揺らした。

 以上は昨年の7月に書かれたまま公開するのを忘れていた文章である。それから1年以上の時間が過ぎて。7月22日に那須正幹が亡くなった。享年79歳。

 福音館の科学シリーズ『ぼくらの地図旅行』は小学生の頃に図書室で読んでから今に至るまで何度も読み返す私の愛する児童書である。そのテキストは那須正幹。それを豊かに描写した素晴らしいイラストは西村繁男によるものである。そして他にも那須正幹で忘れていけないものがある。それが代表作『ズッコケ三人組』シリーズ。

 『スッコケ三人組』シリーズの大ファンである私は事あるごとに、実家にあるボロボロのシリーズ全巻を新しく買い直したいと思うのだが、どうにも部屋の本棚の都合で実現しない。同様に『怪談レストラン』シリーズも全巻買いたいと思いながらもこれまた実現していない。

 幼少の頃から両親が仕事で忙しく家にいる事が極端に少ない家庭だった。児童館に超法規的な時間まで(といっても18時までだが、しかし小学低学年にとって18時は超法規的時間だろう)預けられていた頃、1人で歩く帰り道の恐ろしさは今でも思い出せる。ゲームや流行りのおもちゃも全く知らないその頃の私は父親が貸してくれる本だけが両親を待つ間の娯楽であった。確か、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読み終わって、次に何を読もうか探していた時だったか、父親が『ズッコケ三人組』シリーズを差し出してくれたのは。確か『ズッコケ三人組のミステリーツアー』だったと記憶している。読んで余りの面白さに直ぐに頭から読み直した。それから私が『ズッコケ三人組』の愛読者になるまでに少しの時間もかからなかった。

 私はハチベエもハカセもモーちゃんも所謂ズッコケ三人組というタイトルが指す3人の登場人物たちよりも陽子・由美子・圭子というクラスの美少女トリオの方が好きだった。

 あの頃、夢中に読んだものを未だに私は好きでいられる。その永くて強い魔法みたいなものは那須正幹の訃報に触れた際にも哀しみよりも、まだ読んでいないズッコケ三人組シリーズを指折り数えていたあの頃のワクワクを私に思い出させた。

 ズッコケ三人組が色んな事件に巻き込まれるのを読んでいた部屋の隅。それでも想像力の世界では私も彼らと同じ小学校に通う1人だった。そして彼らと同じように色んな事件に巻き込まれるワクワクするような当事者だった。

 本を閉じてガランとした部屋を眺めると寝ていた弟が起きていた。まだ小さかった弟が私を見つけて両親がいつ帰って来るのか聞いてくる。時刻は22時を過ぎている。窓の外は真っ暗だ。食べ終わったオリジン弁当の空容器が机の上に散らばっている。弟は起きても両親がいない事が不安になって泣き始める。そりゃそうだ。母親の名前を呼びながらいよいよ大泣きする弟のそばに寄りながら私はこんな風に話してみる。「お兄ちゃんの小学校でこんな事があったんだよ」それはさっきまで読んでいたズッコケ三人組の話まんまの話。それをさも自分が体験したかのように話すのだ。時々話の筋を忘れて勝手に話を作る。いつの間にかその話には弟も出てくる。そうすると弟は酷く喜んでいつのまにか泣き止んでいた。「ねえ、今度家に遊びに来る?」話し終えた後に弟が聞く。「だれが?」「その話に出てくる3人の友達」「いつか遊びにくるよ」嘘じゃない。私は本当にそう思っていた。いつか遊びに来るって。出来ればズッコケの方じゃなくて美少女3人組が。

 那須正幹自身の事を私は殆ど知らない。だからこの文章は那須正幹に捧げるものじゃない。ほとんど知らない人に私は文章を捧げたりしない。那須正幹の死を悲しむ文章でもない。ほとんど知らない人の死を私は悲しむ事はできない。それでも那須正幹が描いた3人組の事は知っている。よく知ってる。まるでかつての友人の様に。だからこれはその3人組に捧げる文章だ。

 ハチベエ、ハカセ、モーちゃん、お前らは紙の上の存在だから知らないと思うけど、私と弟は小さい頃のほんの短い時間、想像力って魔法で、お前らと同じ小学校に通ってさ、お前らが巻き起こす事件に少しばっかり参加してたんだよ。それから陽子ちゃん、由美子ちゃん、圭子ちゃん、ずっと3人の中で悩んでたんだけどさ、やっぱり圭子ちゃんが好きだなって思ってたんだ。『ズッコケ中年三人組』でハチベエと結婚したと知ったときはショックだったよ。

 だからさ、悲しむ必要なんて全くないんだ。ずっと昔、長崎での夏。あの時に入った図書館で読んだ『ぼくらの地図旅行』それよりもずっと昔。夢中で読んだズッコケ3人組シリーズ。どれも魔法はかかりっぱなし。解こうなんて思ってもないよ。だからさ、安心して欲しいんだ。

 また夏がやってきた。今年も暑い。クーラーの効いた部屋から最後に余計な事言うとさ『ズッコケ三人組と死神人形』はミステリーとしてもう少しなんとかならなかった?

 こんな余計なことも、夏の暑さに免じて。許してね。その代わり、覚えてるから。貴方の作品を。きっと。ずっと。

 これは、届かない手紙。天国までの切手の金が分からなかったんだ。

 

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