残夏私浴。

 腋から無機質な電子音がピピっとなる。はんたいの腋には氷嚢。カーテンを開けて空を見上げる。曇り空が続いてもう4日になる。39.2。どうしたもんかと呟いてみる。昨夜は37.3まで下がっていたのに。ほんの少し前まで顔を顰める程の日差しだったのに。全身の関節痛。ボサボサの髪をヘアゴムで束ねて、指先にパルスオキシメーターを付ける。カレンダーを見やりながら、吸いはしないが反対の指で煙草を遊ぶ。寝しなに読んだ連城紀三彦『戻り川心中』をそっと思い返す。眼球の痛みが耐え難い。このまま晩夏と呼ばれる絵芝居へ。ふっと気が付くと台所に殺された桔梗の花が。私はそれを手に取ってみると、ようやく目覚めてから初めての冷たさを感じる事が出来た。

 保健所から外出の許可を得られた翌日は殆どの白さが鈍く光り輝く午前にその日が終戦記念日である事に気づく。スピッツ『スピッツ』を流した折、部屋に、久しぶりの蝉の声が混じる。9曲目「ドンビ飛べなかった」にはこんな一節がある「やっと世界が喋った そんな気がしたけど また同じ景色」

 半藤一利『ノハンモンの夏』新田次郎『八甲田山死の彷徨』小林百合子『山小屋の灯』計3冊の取り置き期限が切れたので改めて予約し直してくれと図書館から連絡がある。私はそのまま予約をすることなくふっと溜息を吐く。それぞれ3冊は人知れず公演中止になった排気口の本公演用の資料であった。本来なら『午睡荘園』が終わったら直ぐにアナウンスをする予定だった。それから台本作業も、稽古も。でも中止と相成った。タイトルは排気口新作公演『排気口vsニセ排気口 青春野イチゴ詩情編(仮題)』

 今日の午前中に『機龍警察 白骨街道』を読み終えた。シリーズ最高傑作をまたも更新。本当に素晴らしかった。ページをめくる手が止まらずあっという間に読み終わってしまった。ミャンマーのクーデター。民族浄化。インパール作戦。白骨街道。それから。それから。

 テレビはもとよりニュースサイトも見る気にならない。部屋の窓が切り取る風景だけが確かにある現実。安全な領域。永遠に続く呪い。

 疲れは穏やかさとは距離の遠い石積みのオブジェ。営みという言葉の輪郭を忘れてしまう。電子音楽の夢幻的なしらべ。フィリップ・グラス『グラスワークス』覗き込んで乱反射するラムネの瓶は底。カードゥッチ弦楽四重奏団『グラス:弦楽四重奏曲 第1番-第4番』明るい部屋。夕暮れまでずっと。明るい部屋。夜までは明るい部屋。

 80年代初めのカリフォルニアからサイケでパンクな潮流にペイズリー・アンダーグラウンドと名前が付けられて、私はレイン・パレード『Emergency Third Rail』を久しぶりに聴いて、夕暮れをどうにかやり過ごす飲酒に代わる魔法を見つける。

 光の溢れる浴槽で溺れているみたいなザ・ゾンビーズ『Odessey & Oracle』古いレンガの壁を焦がすTHE HIGH-LOWS 『Do!!The★MUSTANG』

 かつて足繫く通っていたいくつかの図書館。それぞれの帰り道。そんな場所に戻りたい。もうずっと「終わり」をガムみたいに引き延ばしているみたいだ。嚙みすぎて味のしない。それでも光は部屋を明るくする。それをシャワーみたいに浴びてる時は、どうやらまだ、返していない手紙の続きを書く体力や気力、心意気みたいなものは残っている。そんな風に思える。

 という訳で、私も排気口の方々もなんとか大丈夫です。皆さんも無理せず。つまりは、すげえ元気にもすげえ不健康にもならず、「なんとか」辺りのボーダーで、ときどき現れる夏の喜びを拾ったりして下さい。もうすぐ秋の枯葉で見つけられなくなる前に。

 「院生がわたしたちの目の前に立ちはだかって前に進めなくなるまで、わたしたちにはまだ気の遠くなるくらいたくさんの時間が残されていた。」多和田葉子『穴あきエフの初恋祭り』から。

 


 

 

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