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俳句「余白」
霞とは余白にあらず忘却も
人間は四角い画面に絵を描くようになって、描いた画面の余白に気づくようになった。そして余白によって、はじめて風景が見えるようになった。赤瀨川原平の『四角形の歴史』の中にそうある。
春の風景を四角く切り取れば、霞によって覆われた遠景は、目前の家並みや木々という対象物の余白のようにも思われる。しかし、もちろんそれは余白などではなく、四角形に絵を描くようになる前の人間が見えていなかった風景のように、見えていなくても紛れもなくそこに存在するものである。
忘れ去られた記憶というものも同じではなかろうか。それはけっして余白などではなく、記憶の風景として紛れもなく存在している。
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