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頑張ったら東大に入れたけど

高2の終わりごろ、突然東大に行きたくなった。

中学受験がトラウマすぎて、そこから勉強を頑張らなくなり、中高の成績は下から数えた方が早かった。

でも高2の時、優等生な友達に恋をしたのをきっかけに勉強を頑張ってみたら、頑張っただけいい成績が取れるのが楽しいし、内容も面白く思えてきた。もっと勉強してみたくなった。大学附属で、8割が大学受験をしない学校で、ガリガリ勉強してる外部受験生が輝いて見えるようになった。

ふと附属の女子大の評判をネットで調べてみると、「女子大なんて花嫁養成学校」「東大や早慶のインカレに入って男漁り」などと言われていた。あんなに優等生な好きな人も、カッコいい先輩たちも、このまま内部進学したらこんな目で見られるのかと思うと、ショックだった。一度そう思ってしまうと、もう頭から離れなかった。

東大に行って、誰にも馬鹿にされないようになりたい。東大は受験に必要な科目数が多くて、楽しそうだし、できる気がする。

進学校だったら甘いと叱られそうだけど、受験に関する知識も責任もない学校の先生たちは「いいんじゃない?頑張りな〜」と応援してくれた。高2の冬。部活を辞め、友達と遊ぶのも辞め、勉強漬けの日々を始めた。

予想通り1年では全然間に合わず、浪人した。浪人時代は楽しかった。プレッシャーはもちろんあったけど、意外にも最初から結構いい判定が出ていたし、それに油断することもなかった。何より勉強それ自体が楽しかった。

そんな感じで、ちゃんと東大に受かった。
それが鬱の始まりだった。

まずは名門男子校出身者たちの性差別的な言動にドン引きした。大学の雰囲気が多数派の彼らによって作られているのを感じてうんざりした。それでも、優等生に憧れて勉強を頑張ってきた身には、アカデミックなことを嬉々としてしゃべって盛り上がれる彼らがカッコよくも見えたし、羨ましかった。ねじれた感情が自分を苦しめた。

さらに生活の上では、授業、サークル、バイト、1時間半の通学、忙しすぎて手に負えなかった。全てがグダグダだった。

周りにはどれもを完璧にこなす超人もたくさんいたし、どれかをさっぱり諦めている人も多かったが、私には両方とも無理だった。

当然超人ではないが、せっかく東大に来たのに勉強をどうでもいいとは思えないし、大学生らしくサークルで遊んだりしたかったし、そのためにはバイトしないといけない。

周りの人がちゃんとこなしているのに、自分ができない意味がわからなかった。頑張ったら東大にも入れたんだから、やればできるはず、と思っていた。そしてそれができない状態が続くと、自信がなくなって、ますますできなくなった。
3年生になる頃には、勉強が面白いという感覚もなくなっていた。面白いはずなのに、やりたいことのはずなのに、どうして逃げたくなるの、と罪悪感だけが募った。

何か意味のあることがしたくて、手を出したのは整形だった。学業コンプレックスの痛みを忘れるために容姿コンプレックスを刺激するという、よくある代替行為。バイトと情報収集に夢中になっていると気が紛れたし、ダウンタイムを乗り越えて顔が良くなると達成感があった。

卒論も就活もやる気が出なかったけど、やけくそでどうにかし、鬱のまま社会人になった。

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あの頃の私は、自分が欲しいものが全くわかっていなくて、何もかも欲しい気がして混乱していた。恵まれた東大生に囲まれて、羨ましいことばかりだった。

今の私は、その頃に比べると欲がない。というより、自分の欲しいものが明確で、いらないものはいらないとわかるようになった。

きっかけは部屋の整理だったと思う。こんまりブームの時に、徹底的にこんまりメソッドに則って片付けをした。

なかなかの汚部屋だった。やりたかったけど結局できなかったことの残骸が積もっていた。語学のテキスト、授業の教科書やノート、読もうと思った原書、続かなかった趣味の道具、おしゃれになりたくて買い漁った服、料理上手になりたくて買ったレシピ本や道具。

私が今までいかに色んなものになりたくて、なれると思って、苦しんでいたのかが一目瞭然だった。一つ一つの願望に向き合い精査していくうちに、こう思えるようになった。

過去の自分に囚われて、いちいち罪悪感を感じるのはやめよう。大事なのは今の自分がどうしたいか。それでいいんだ。そう思わなきゃ進めないんだ。

「せっかく東大に入ったのに」「東大にも入れたんだからできるはず」ずっと苦しかったこの考え方に、やっとNOが言えた時だった。

もう一つの転機は、やっぱりヴィーガンになったこと。

畜産という残虐行為にほとんどの人間が加担しているという事実が、世界の見方を変えた。

「他者にやさしく」「差別や暴力に加担しない」というかなり低レベルな基準を満たすのは、全然当たり前のことじゃなかった。

そう気づいたら、その低レベルな基準を守ること、守りつつ病まずに生きていくことが、一番の優先になった。

そうなると、見栄がなくなった。大学生の頃の欲望は結局「周りになんかすごいと思われたい」というところに帰着するのだが、その「周り」が、そんなにすごくも偉くも見えなくなってしまった。「優秀」であることなんて、倫理的であることに比べたら全然大事じゃないのだ。倫理的でない人が優秀だったら、むしろ害の方が大きいじゃないか。そんな人たちにどう思われるかなんて、本当にどうでもいいことだ。

結果、今の私の願望はこんな感じ。

気の合う人と暮らして、家で趣味のことしたり家事してるのが一番楽しい。それがずっと続けられたらいいな。なるべくお金を必要とせずに生きたい。なるべく仕事したくない。もしくはあんまり稼げなくても、自分に合っててストレスなく続けられる仕事をしたい。

人から見ると本当に志が低くて笑われそうだ。でも、何か自分以上のものになろうとは、もう思わない。

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