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はじめまして、和紙舗の榛原(はいばら)と申します。

榛原(はいばら)は、文化3年(1806年)の創業以来、東京・日本橋の地で
二百年以上つづく和紙舗を営んでおります。

「雁皮紙榛原」の暖簾

江戸期の榛原 

初代佐助は、書物問屋・須原屋茂兵衛にて奉公の後 独立し、紙、墨、薬を販売しました。中でも、「雁皮紙 榛原 がんぴし はいばら」の暖簾 のれんが示すように、江戸の時代に豆州 熱海産の雁皮紙を売り出し、一世を風靡しました。

継承されるデザイン

榛原千代紙 河鍋曉斎(1831-1889)「菊花」聚玉文庫所蔵

幕末・明治・大正期にかけて作成された榛原の千代紙は、高度な木版摺りの技法とデザイン性により幅広く愛好されて参りました。

明治11年 (1878年)に日英文物交換の名のもと、明治政府よりイギリスに送られた品々の中にも、榛原千代紙が含まれるなど、輸出品としても注目されていたことが伺えます。
柴田是眞 しばたぜしん河鍋暁斎 かわなべきょうさい川端玉章 かわばたぎょくしょうをはじめとする、様々な画家・図案家と交流を深め、団扇絵や便箋などの図案を多く依頼しました。
日常品である団扇や便箋などといった小間紙に、各時代を代表する画家のデザインを採用することには、榛原に代々伝わる、「生活と芸術を結ぶ」という願いが込められています。

「聚玉」有栖川宮熾仁親王殿下(1835-1895)

明治21年には、皇居新宮殿の内装の御用をつとめ、有栖川宮熾仁親王殿下より、堂号である「聚玉 しゅうぎょく」の御染筆を賜りました。

榛原が守り伝えてきた紙の文化は、今日「聚玉文庫 しゅうぎょくぶんこ」として集積され、古きものを現代に、そして次の時代へ受け継ぐための調査・保存活動が行われております。

和紙のある暮らしをご提案

手仕事を主とする榛原の商品の制作過程には、木版彫師、刷師、団扇エ、水引エ、彩紙エなど多くの職方が携わります。

「和紙そのものをお売りするだけでなく、“和紙のある暮らし” をお伝えする」ことを経営の神髄として掲げ、全国に残る良質の和紙や、意匠を凝らした金封、便箋、和文具を販売しております。

抒情画家として名高い竹久夢二が、榛原に託した絵封筒の図案を、一筆箋に復刻しました。

現在、榛原は新しい商品を積極的に考案する一方、変わらぬデザインで、長くお客様に愛されている商品を大切にしています。

榛原の歴史は、お客様の歴史でもあります。
これからも、「のれんを磨き、育てる」努力を大切に重ねて参ります。

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