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沖縄

沖縄

ホノルルに引っ越して来て、学ぶ事が多い。自分の無知さ加減に呆れると同時に、ハワイでも、さぼらず「学び続けよ。」と言う、サインだと気がついた。

第二次大戦後、ハワイ在住の沖縄系の人々は寄付金を集め、焼土となってしまった沖縄の人々のため、 豚を500頭送る事を決断した。

沖縄料理には豚肉は、無くてはならない食材なのだ。

第二次世界大戦で、大勢の人々が犠牲になった。 家畜として大切に育てていた豚も、全滅に近いほど死滅した。

その窮状を知り、心を痛めた沖縄系の人々が、寄付金を集める苦労を、自ら買って出た。

米国産豚の選択のため、米国本土に渡り、沖縄の養豚場に合いそうな豚を選択した。

米国の首都にある、連邦政府に手紙をしたため、沖縄に豚500頭を送る許可、並びに協力を要請した。

沖縄決戦で大勢の沖縄人が死亡、田畑を始め大自然が、戦火で焼かれてしまっていた。

紆余曲折があったが、 米国政府は最終的に、大型船と乗組員30人程を、無償で提供した。

嵐に見舞われ、オレゴン州の港に一度は戻り、大嵐でめちゃくちゃになった、甲板の豚小屋を再度作り直して、 ふたたび沖縄に向け出航した。

当時の船足で、約二週間で、西海岸から沖縄まで船で行けるが、戦後間もなくのこと、魚雷が波に沢山浮かんでいる地域もあり、 船は細心の注意を払いながら、 進行したため、 1カ月の長旅になった。

入管管理局に、500頭の豚が検査の為入り、 運良く検査に合格、沖縄養豚農家が再度立ち上がる礎を築いた。

ハワイに移民した沖縄人は多い。 沖縄王国時代もあり、古くは中国の影響も強く受けた。

沖縄は戦後、米国の直接統治を受け、戦後何十年後、日本に返還された歴史もある。

ハワイに東海岸から移住して、刻々と時は流れた。

太平洋に点在する多くの島、並びに島民について、何も知らない自分に、勉強の種が出来たと努力中。

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