情報の器
情報の器
人間は情報の器でもある。 差し詰め、私の場合は、竹製ざるの入れ物だ。
入った情報は、見る間にざるの目から逃げ去る。
けれども、多くの情報に自分を漬け込むと、僅かではあるが、何かは私の中に残るような気がする。
現在は、 時間だけは、十二分にある身分になれたので、本を沢山読んでいる。
高校時代は図書委員もしていた程、書籍の中に没頭していた。
学生時代のように、受験も、授業も宿題もない今は、人生で一番読書をしていると自負している。
まだ、目が見えて、眼鏡無しで、本を読める自分に感謝。
「今の内だ」と、囁く声に押されるように読み続けている。
いつか文字が見え難くなったら、幸運な事に朗読を聴くという手がある。
諸刃の技術ではあるが、インターネットの恩恵を沢山受けている事も事実だ。
お一人様人生の設計を、意識的にはしなかったが、多読しているうちに、日々の過ごし方の指針が生まれたようだ。 有り難い。
書物を通して、 はたまた講演会などを聞いていても、 人間関係の重要さを指摘している。
我とて、 人間関係の大切さは重々意識している。
事実、ホノルルに来て初めての一年は、ミートアップなどで、多種多様なグループに参加、大勢の人にお会いしたり会話を楽しんだ。
ミートアップ参加者の85パーセントは55歳以下と、若手が断然多い。
次世代の気持ちを知る良い機会だ。 我が情報器にそっと入れた。
街中の小さな公園。 遊具のある所なので、母親と子供が集まって来る。
無我夢中で、 私も子育て時期を楽しんだ。 第三者の立場で、若い母親と子供達の様子を、そっと観察するのも楽しい。
読書以外でも、情報がどんどん、私の中に押し寄せて来る。
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