見出し画像

南米

南米

1997年、私が55歳になったばかりの秋、アルジェンチンのブエノス・アイレスでの国際会議に、通訳として参加した。  

日本の国会議員団並びに、大企業役員が参加する、官民共同事業に関する話し合いの、世界大会だった。

仕事が終わり、予め、日本大使館職員が手配して、予約を入れてあった、高級レストランに向かった。

アルジェンチン タンゴを聴きながら、アルジェンチンの有名な、放牧牛の分厚いステーキと、アルジェンチン産赤ワインを楽しんだ。  

楽器はバンドネオン、ギター、ピアノ、打楽器類等だ。

19世紀頃、ブエノス・アイレス近郊に住んでいた、労働者達が社交ダンスの伴奏曲として、作曲、演奏し、それが全世界に少しづつ、アルジェンチンタンゴとして、広がっていった。

ヨーロッパでは、オーストリアのウイーンなどで、ヨーロッパ風社交ダンスが、長年流行っていた。

アルジェンチンのタンゴ音楽と踊りは、独特の特性があった。

労働者が感じていたノスタルジー、原因が定かでない悲しみや、失恋の苦しみなどを、率直に表現するような芸術だ。  

特等席に陣取り、アルジェンチンの分厚い牛肉ステーキとワインを味わいながら、 目の前で展開する、情熱的男女のダンスを見、 タンゴの音楽に聴き入った。  

視覚、聴覚、味覚全てを同時に楽しんだ事になる。

また、21世紀初頭、 ブラジルのサウパウロを、大企業の通訳として訪れた。 

日本企業である三菱ふそう、米国のクライスラー社とドイツのダイムラー社が 合併してできたダイムラークライスラー社の、合同プロジェクトに関する話し合いが、ブラジルにある、大型トレーラー、並びに、大型バス製造工場の会議室で、開催された。 

仕事が終了後、ブラジル在住の、ダイムラークライスラー社の職員数名が、 バスで移動、ブラジルの有名な、熱帯雨林を案内してくださった。

アマゾン川の川下りも、予定に組まれていた。少人数に分かれて、 小型の川船に乗った。 

太陽の光線の当たり具合で、川底が瞬時見える事もあったが、 ゴツゴツとした岩の多い急流だった。 

川面から顔を出している、大きな岩も点在していて、 会社側が手配したのであろう、屈強で背の高い若者達が、長い竹の棒の片方を、川の底に刺して立っていた。 

始めは、なだらかな川の流れで、ジャングルの鳥の声。

と、急に船が大揺れ、気がついたら私はアマゾン川の中に、船から放り出されていた。 

間髪を入れず、 竹の棒が私のそばに、思わず夢中でしがみついた。  ずぶ濡れの私。でも、楽しかった。  

他の日本人は全員男性で、急流の川下りでも、私のように川へ振り落とされた人はいなかった。  どうも、私は油断していたようだ。 

アマゾン川に落ちた時、 咄嗟の事で、アマゾン川の水も飲んでしまったが、 予防接種をして来たためか、 何の問題も起きなかった。 

濡れた衣装は、 ブラジルの強い太陽光で見る間に乾いてしまった。  

ブラジルの工場に戻り、大工場の見学が始まった。 

歩き疲れるほど、広い広い工場であったが、 何処を見ても、整理整頓が良く行き届いていたことに、私は感心した。  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?