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梅雨と足首

6月の中旬くらいまで夜は涼しくて、さらっとした気候で気まぐれに吹く風が気持ちよかった。春でも夏でもない、季節と季節の間にあるどこにも属していないあのときの気候が好きだ。どこまでも歩いて行けるような気分になるし、たまに降る雨も心地良いくらいだ。
春でも夏でもない、どこにも属していない気候の王様みたいな存在が梅雨だ。梅雨時などと言われていて、四季と呼ばれる季節の四天王に一発かましてやろうと毎年機を伺っている。
6月の下旬あたりから手首や足首をしきりにクネクネし出してウォーミングアップを始めて「俺はいつでもやってやるぜ」と汗をにじませているその熱気が湿度に変わってきている、わけではまるでないのだが、ぼくのなかではそんなイメージだ。またあいつが来た…と毎年嫌な気分になる。

春でも夏でもないあのときと、夏でも秋でもないあのときが、一年のなかで穏やかな心持ちでいられる極めて少ない時間だ、刹那のように過ぎ去ってしまうけど。子どものころは冬が好きだとか、夏休みがあるから夏が好きだと思っていたときもあって、大人になってからは春夏秋冬、みんないいところあるよね、とやっと受け入れられるようになってきたが、梅雨だけはどうも受け入れられない。梅雨を受け入れて、梅雨を抱きしめて、梅雨の頭をなでなでして、今までごめんね、なんて言える日が来ることを想像することができない。
やはり、春夏秋冬は根強いファンがいるが、梅雨のファンだという人を見たことがない。そういうところだぞ、梅雨。「俺は梅雨がいちばん好きだけどね」とかなんとか飲み屋のカウンターの端っこで言い出しはじめる人がいたとしたら、おいおいこいつやってるなー、としか思えないぼくがおかしいのか。そんな奴おれへんやろ〜、という声が聞こえてくるぼくがおかしいのか。それくらい梅雨の存在がぼくのなかで遠いし、いや別に歩み寄ってこなくてもいいよ〜、という気分だ。
と、こんなことを書いていたら梅雨が少し可哀想になってきたが、梅雨に肩入れしてもなにもいいことがない。梅雨が通り過ぎていくのをぼくらはただ待つことしかできない。

ひと月かふた月か忘れてしまったが、それくらい前から左足首のあたりが痛くて、立ち上がるときや歩いているときなんかに負荷が掛かると痛みが出るようになっていた。挫いたりした記憶もないけども、放っておけばまた元通りになるだろう、と思っていたがずっと変わらずに痛みがあるので、先週末整形外科へ行ってきた。

くるぶしの内側あたりに石灰がたまっているということだ。肩関節のあたりに石灰化するパターンが多く、女性がなる割合が比較的多いらしい。肩ではなく足首だし、女性ではなく男性なのだが。なぜ石灰がたまるのかはわかっていないらしい。黄色い矢印のあたりだ。モヤモヤっとしているのが石灰らしい。
病気によるものかもしれない、ということで血液検査もした。次に行ったときに結果がわかるので、現在はなにがなんだかさっぱりわからない状態だ。湿布と塗り薬を処方されて1回目が終了。早く治したい。
この前横断歩道を渡るときに青信号がチカチカして変わる間際に間に合うように走ったのだが、痛みで変な走り方になってしまった、というよりも走れなかった。それもあって整形外科に行くことを決めた。あの頃のように走りたい。最後にいつ走ったのかはっきり思い出せないけども…あの頃のように…。

8月の京セラドームでのオリックス戦のチケットが取れた。喜ばしいことだ。久しぶりに大阪に行く。13、4年振りだろうか。はじめて本拠地で試合が見られることも嬉しいのだが、あまり観光する時間がないんだけども大阪に行くことじたいが楽しみ。いい感じの飲み屋さんとか探して行きたい。頼んでいたレプリカユニフォームも今月2回に分けて届く予定で、もう楽しみですね。台風とかで行けないまたは帰れないみたいなことがないといいけど。

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