見出し画像

大人/子供/男/女、らしさ

「気狂いピエロ」
ライオネル・ホワイト 矢口誠(訳)

 ジャン=リュック・ゴダールがこの小説をもとに映画を作り、タイトルを「PIERROT LE FOU」とした。日本ではしばらく、この原作小説の翻訳がなかったものだから、映画タイトルの日本語名「気狂いピエロ」が先行して有名になったが、原作のタイトルは「OBSESSION」で、妄想、妄執、異常な考えに憑りつかれていること、といったニュアンスだ。

 失業中で職探しもうまくいかず、家庭でも肩身の狭い思いをしているシナリオライターが、ある時妻の友人の主催するパーティーに夫婦で参加することになり、子供の面倒を見るためにやってきた17歳の美少女と関係を持ったことから犯罪の世界へと転落していく、という、ストーリー的にはクリシェというか、一般人が犯罪に巻き込まれて歯車が狂っていく、という、ありがちなストーリーであるとは言える。が、主人公が絶えずとりつかれている「OBSESSION」に対抗して、最後にやってくるある種の爽快感と絶望感はなかなかに味わい深いものであると、私は思う。

 さて、その主人公の妄執とはいかなるものだったか。17歳の、道徳心のかけらもない美少女と自分との間に、愛の橋はかけられていたのか、というのももちろんだが、そもそも主人公に憑りついて悩ませていたのは「らしさ」という呪縛ではなかったか。

 子供の誕生日プレゼントに自分用のテレビを買ってやった妻に、そんな余裕はないだろうと非難する。自分は職にあぶれて酒を飲んで帰ってきたのに。家長としては失格である。子供達には好かれていないし見下されている。父親の権威がない。妻はいらつく主人公にいつも冷静で論理的に話をする。自分は夫らしく、父親らしくあるべきなのにできない。鬱憤はたまっていたのである。

 そんな時にアリーが出現する。およそ少女「らしくない」あばずれに、主人公は夢中になる。私は常々、性衝動は異常性によって加速すると考えていて、この場合も常識から外れている未成年の少女の出現という異常性によって、中年男の性衝動は昂ったのだと思うのだ。

 逃亡中も「らしさ」の妄執はつきまとう。大人の男として、この少女を守るのは自分の義務である、とばかりに奮闘する。しかしそれはかえって、異常な少女であるアリーの不満を爆発させ、結果、さらなる犯罪の闇へと落ちていくことになる。犯罪者として警察に捕まれば終わりだ、善良な市民だった自分の、何もかもが終わってしまう。

 「らしさ」、その妄執は、普通の人間ならほとんどすべてが囚われているものだ。「~らしくありなさい」と、小さなころから言い聞かせられてきた人間がほとんどではないか。男らしく、女らしく、子供らしく、大人らしく。

 「夜想26 少女」(ペヨトル工房 1990年)に、若桑みどりの「少女を否定する少女」という一文がある。「少女」をテーマに若桑が語ったインタビュー記事だ。内容は昨今で話題になっている「性差、男女差」についてのものといえる。男の子はこうあれ、女の子は女の子らしくあれ、というのは妄執で、すでに18世紀にメアリー・ウルストンクラフトという人が、「女らしい美徳、男らしい美徳というものはない」と言い切っているのだ。それでも男は稼いで家庭を引っ張り、女は強い男に好まれるようにつつましく美しく、おしとやかであれ、という教育がずっとなされてきた。そのうち、女の子用と称して少女の人形を押し付け、メディアもかわいらしいアイドルを世に出して女の子の憧れとなるものを作ってきた。それは社会が作り上げた妄執であるらしい。だから「虫めづる姫君」は異端の肖像なのだ。社会のイメージする少女は男の子と違って、虫を怖がり、きれいに眉を整えてしとやかに、男子が誘ってくるのを待っているものなのだから。

 自分に害をなしそうな大人の男を、永遠に沈黙させる程に凶悪であるのは置いといて、可愛らしい人形ではなく、自立している不良少女アリーは異端か?若桑は言う。「スケバンというのがあるでしょ。あれは完全に新しいタイプの女達だと思うんですよ。」「あれは結局、(中略)フランス人形として作られている女たちへの完全な反逆なんですね。」
「あれが本当なんです。あれが女の子の本当の姿なんですね。」「女の子は二つの言葉を持っています。女同士の時の本当の男言葉と、男の子に気に入られたいときの女言葉です。使い分けています。」

 アリーは使い分けなどせず、その美貌と若さで大人を誘惑し、利用するだけでよかった。楽勝だったのだ。そもそも、一般人らしくあろうとも思っていなったかもしれない。主人公はそこを見誤った。妄執によって目が曇っていたのだ。その妄執を振り切るのは、あの最後の手段しかなかった。破滅の手段であるが。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?