現実を変える体感を最短1日で作るマインドセットの専門家 たかひとのプロフィール【 後編 】

大学卒業を1年延ばす戦略

前編で書きましたが、大学1回生で私の甘さにより、テスト中にカンニング行為が見つかるという事態が起きました。

私が原因なんですが、そこで人生を考える時間をもらいました。

親に出してもらっている大学の学費。

経済的に無力で、自力で大学に行けたわけではありません。

その無力さにぶつかりました。

幼少期から育っていた自分。

自分の領域が人よりも大きく、向き合うには2人の人格に対応しないといけません。

2倍以上エネルギーを消耗します。

自分とは脳が作り出しているため自己評価、他者評価をめちゃくちゃこだわります。

毎日メンタルはヘトヘト。

そんな中カンニングという想定外の事態に対して自分は騒ぎ立てました。

カンニング行為なんて恥ずかしいこと。
大学生活をしても人からなんて思われるか分からない。

そんな認識を自分が作り、行動範囲を変えていきます。

それまで付き合っていた仲間から離れ始めます。

普通の人の感覚なら一体の人間の話ですけど、私の場合、2人の人格です。

ココロは大学で出会った仲間と一緒にいたいと思っています。

脳からのトップダウンがココロをブロック。

カンニングによって1回生の前期分の単位を失いました。

3回生になり、就職活動が近づいてきます。

自分が考えたのは「半年留年しよう」でした。

学費は半額になることを聞き、親に相談。

親はそんな私を激怒。
当たり前です。

何のために大学に入れたのかは、大学名が担保してくれる有名企業に入社することです。

この親の価値観は絶対否定しません。
自分たちが頑張って得たお金ですから。

1998年に大学に入っているため、25年近く前です。

まだ個人で起業するとかベンチャービジネスなんてない時代。

そんな時期に大学から企業に就職しない選択肢がまだあまり世の中にはありません。

自分がなぜ留年しようとしたのか?

自分を守るためです。
カンニング行為で失った単位と就職に不利になると考えたためです。

親を説得して留年させてもらいました。

自分をもってしまうと何が良い選択なのかまったく分からなくなるのです。

大学生活中にはじめたパーソナルトレーナーで生計立てる

カンニング行為が見つかったのは1998年7月のテスト。

単位を失った私は人生を考えました。

4年後の就職が難しいなと。

ここはココロが主体となってきていたので最適な選択をしたなと思います。

大学に入って、有名企業に就職する気はなかったんです。

親が喜ぶだろうと自分は考えて受験しました。

同志社大学に入り、関西私学でいちばんだったので喜んでくれました。

自分は満たされました。

そこで目的は終わっていたのです。

自分としては中学生から大学を目指す価値観で生きてきて、大学入ったからいいじゃないかと考えていたのです。

就職するという王道をやめたのです。

一般的には就職活動がはじまった時期に人生を考えますよね。

その時期が大学1回生でやってきました。

人生を考えた時にココロが現実を感じました。

  • 私にできることを身につける

  • 私を好きなってもらう人に出会う

  • 私が個人でできる仕事を見つける(作る)

就職せずにフリーランス活動

大学1回生で就職できないという壁。

ここにぶつかり、ココロへの意識のおかげで自分の人生を生きることになります。

私しかできない知識とスキルを磨こうと決意。

そんなとき、高校時代に1人の時間を作るために学校帰りにフィットネスクラブに通っていました。

贅沢な話ですけど、短期バイトをして稼いだ分を年会費で収めていたのです。

高校生だったので学生割引が効きました。

そのおかげもあって、高校が終わると1人でジムに通っていたのです。

継続する動機はとっても不純。

女の子にモテないからです。

高校時代は自分を1番もっていたので自己愛の塊だったんです。

ジムに3年間通い続けました。

その経験があったため、大学1回生でぶつかったときに考えてみたのです。

ジムではたらいてみよう。

大阪から京都まで大学は通っていたので2時間近くかかっていました。

帰りにバイトをするなんて時間的に現実的ではありませんでした。

それでも友だちと距離をおくというもう1人の自分が選択しました。

心斎橋にあるジムに学生枠で採用。

採用した初年度にジムを経営する会社全体でパーソナルトレーナー養成コースが開催されたのです。

会社の目的はスタジオインストラクターの収入源を増やすため。

つまりこれは会社がフィーをあげれないためです。

パーソナルトレーナーはお客さまから頂いたお金のバックマージン。

よって会社がコストをかけなくて済みます。

この制度がスタートし私は入ってすぐだったのですが、勉強熱心だったのを当時に支配人に評価され、養成コースに入れてもらえたのです。

そして19歳の若いチャラチャラしたパーソナルトレーナーが誕生したのです。

トレーナーを導入するフィットネスクラブは当時皆無で珍しいこともあり、日常の接客でお客さまをたくさん得ることができたのです。

大学に行きながらだったので時間制約がありました。

それでも最初から月の売上は60万円近く立っていました。

私はトレーナーとしてお客さんより少し先頭に立って引っ張っていけるのがとても楽しく、快感でした。

大学を半年休んだのでその間はジムの現場に立ち、接客を繰り返しました。

売上はどんどん増えていきました。

そして1回生でぶつかった就職の時期迎えました。

私は究極ですが、就職活動はせず、そのままパーソナルトレーナーとして個人事業で生きていくことにしたのです。

大学卒業時には売上は100万円近く平均して取れていました。

就職する前からかなりの豊かな生活。

この歳でお金による脳のブロックは完全に壊されたのです。

トレーナーで人のカラダと向き合って気づいたこと

トレーナーとして人のカラダに向き合えたことはとても良い経験でした。

私が実践していた方法は皮ふや筋肉を触れて姿勢を作ること。

姿勢制御(コントロール)という神経作用への促通です。

このアプローチは脳血管障害(脳梗塞・脳出血など)のリハビリの現場で実習させてもらって得ました。

このアプローチが私のやりたいこと、つまり人が幸せになれるカラダづくりに合っていたからです。

トレーナーになってすぐに読んだ書籍とリアルなトレーナー研修で出会った病院の理学療法士の方によってこのアプローチを知る機会に恵まれました。

大学時代からトレーナー活動をしてカラダに触れて1人のヒトと向き合っていました。

この経験によって人の本質、真理、普遍的な内面の活動を知ることができたのです。

つまり、人が気づいていないところに本質がある。構造がある。
システムがある。秩序がある

さらにはその向こうに真理がある。

トレーナー活動によってわかったことです。

就職をしないで選択して良かったと思えます。

それだけ後がない状態だったのでトレーナー活動に打ち込めました。

迷いがなかったからです。

これも自分が蒔いた種とはいえ、カンニング行為によって単位が全部リセットされたあの絶望のおかげ、違う人生に出会えたのです。

ココロの専門家になる決意

個人事業でトレーナー活動を続けました。

私の営業活動によってジム以外のお客さまも見れるようになりました。

ある時、深い疑問にぶつかりました。

カラダに限定してトレーナー活動していたのがこれでいいのかな?と思ったのです。

すぐに答えは見えませんでしたが、何かを忘れているのでは?と思ったんです。

それがココロ

私はこれまで幼少期の話をしてきましたが、自分を別次元で大きくして育ちました。

その結果、脳が膨大化(ひょっとしたら肥大化?)しているのです。

自分が悩み、迷い、いろんなことに不安を抱えます。

問題意識をもっては解決しようとします。

自分が生きている世界は妄想なのです。
架空の世界です。

仮説が成り立たない脳の中だけの世界です。

仮説が成り立たないのに問題化して解決しようとする。

永遠に解決できません。

リアル(現実世界)と繋がりがない領域ですから。

この時の自分と自然世界とつながるココロが対立をします。

パーソナルトレーナー活動で知ることができたカラダの部分と残されたココロの部分。

私の内面での自分とココロで対立をしました。

ココロを知らないと私自身の疑問は解決できないと思ったのです。

そこで決意したのがココロの専門家になろう!

臨床心理士になり精神疾患の方とのコミュニケーション

自分が大きくなり、問題化し、自己肯定感を低くしていました。

書店や図書館に行けば、メンタル関係の書籍を読みまくっていました。

カウンセラーが問題を分析して因果を見つけて解決に導きます。

このような心理学的な作用にとても興味をもっていました。

パーソナルトレーナー活動の初期ではココロにトピックを当てていたこともありました。

でもパーソナルトレーナーを申し込んでくれるお客さまはカラダの悩みや願望を持つので、ココロの部分は関わらないでセッションを進めていました。

しかし、私の膨大になった自分が許さなかったのです。

43歳になった今からすると、ココロを知る時間は尊く、現在のビジネスに繋がっています。

当時は自分という未来像を不都合にする脳の領域がココロの勉強をさせたので、脳とココロを分離できないと人を洗脳する方向に進んでいたかもしれません。

私は幼少期からココロに意識が繋がっていたので分けることができました。

カラダだけのプロだと遠いエリアに住む人と出会うことはなかったでしょう。

カラダのプロなら一対一でリアルに近づかないと私のセッションは成立しないからです。

ココロを見ることができて、40歳からはじめたコンサルティングはLINE電話やzoomのように離れた場所からもできるのです。

そのおかげで私のビジネス領域は世界中になりました。

ココロを学ぼうとした自分には感謝しかありません。

カウンセラーの資格で民間資格ですが大学や大学院で学ぶことを求められる臨床心理士を取得したのです。

大学院は毎日通わなくてもいいです。

最終的に私が決めたテーマの研究をします。

私はうつ病と未来軸の崩壊について研究しました。

パーソナルトレーナー活動しながらの大学院。

25歳での挑戦。

家族をもっていなかったので時間はまだ自由でした。

そんな状況でカラダのリアル経験と学問的なココロを知ること。

この二本柱でどっぷりと20台を過ごすことになったのです。

ビジネスを経験した成功と失敗

臨床心理士を取得した後カウンセリングを病院で実施していました。

精神疾患の患者さまと向き合い、カウンセリングの基礎を築きました。

忠実にカウンセリングを実施するのとカウンセリングに対する疑問とが交差しながら実施。

私は自分とココロの2つの領域があります。

ココロは自然世界のエネルギーによって自然の秩序に合わせる考え方。
自分とは脳の働きを認識した因果関係から解決を作るだそうとする考え方。

この2つが交差します。

自分はカウンセリングでは患者さまになります。

患者さまという存在ではなく、患者さまという精神疾患をもつ自分を見ていくのです。

まさに私が幼少期に育てていた自分と向き合うのです。

自分をなくすことが精神疾患を治すことができるだろうと知っていました。

私自身が二面性を持ち、苦しんで生きてきましたから。

精神疾患の患者さまは精神医療ではココロが壊れた人と扱います。

治しているつもりが患者さんパーソナリティをより作っているのです。

何度も自分をフォーカスして因果関係をロジックで組み立てていく。

患者さまは臨床心理学に当てはめられていきます。

ココロを楽にするプロになろうと臨床心理士になった私ですが、私の内面に育った自分を介して患者さまの自分につながりが持てたのです。

これは私特有の視座です。

臨床心理士としてカウンセリングは実施していきました。

リアルでの経験が必要でしたから。

しかし、リアルでぶつかったのが人の幸福です。

カウンセリングを実施して患者さまは変わっていくんだけど、自分を捨てずに自分を残したままストーリーを変えていく。

患者さまは楽になったと感じてくださる方はいましたが、一生この自分を抱えるんだなと知ったため、未来に幸福になれる関わりがいると痛感した時期でもありました。

そこで私はリアルな活動を始めていきます。

  • 小規模のジム経営

  • カウンセリングルーム経営

  • 子どもに不登校セラピー

  • 子どものメンタルサポート

などです。

ビジネスを知らない私が自分という領域で実施したため、収益化より存在価値に重きをおいてしまいました。

その結果、お金はずっとマイナス。

金融機関から借入をしていたため一旦ビジネスをやめる38歳までずっとマイナス。

私のビジネスを理解してくださった金融機関の方にはとても感謝ですが、実質は私が損をしてしまっていました。

すべてがうまくいかず、私も一旦リセットしないとプラスにはできないなと思い、お金はマイナスを残したままビジネスをやめることにしたのです。

回せば回すほど私がマイナスになる。

これは世の中のためになっていません。

お金はリアルな領域でのエネルギーです。

負を抱えると必ず誰かに負を抱えさせることになるのです。

38歳でビジネスをやめて、ビジネスを知るための時間に当てました。

個人で見ていたパーソナルトレーナーとカウンセリングは継続していきました。

キャリアがあったため、個人で見ていたお客さま単価は高く仕事できていたのです。

マイナスのお金を返していきながら、ビジネスを一から知る時間を作っていったのです

ココロの体感が得られていきお金運が上がる


カラダとココロを楽にしていく仕事を20代から38歳まで実施してきました。

臨床心理士になってココロの扱い方を経験しました。

私のココロより対相手という人のココロです。

客観的に人のココロを見ることはできるようになりました。

38歳からビジネスを知る時間をとって、私のココロへのアプローチはしていかなったなと思いました。

幼少期からココロの動きを体感できましたが、大人になってからココロを意識するのを無意識に任せていたなと気づきました。

無意識のままで動くのがココロです。

無意識であるべきですが、もっと動きに対して体感ができると人とのココロと共有できるだろうと。

38歳から私はココロの動きに意識を向ける時間を作りました。

この体感を高めたのが40歳から再スタートするビジネスを後押しすることになるのです。

ココロの体感は人のココロに体感を伝えることができます。

つまり、コトバを介さずにココロと繋がり合えるのです。

私が1番理想とするスタイルです。

コトバを介すると自分に繋がります。

精神疾患の患者さまで経験した自分にストーリーを変えて治した感じにする。

この関わりだと人は幸福になれません。

私の自分と向き合ったのではなく、ココロに意識を強くつなげることで人に伝えたい感覚がストレートに意味解釈を入れずにできるようになったのでした。

これが40代からお金がマイナスからプラスに好転する大きな原動力になったのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?