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幼少の頃から、「そんなバカなことを言って」と夢を否定されるような言葉をかけられることが多くありました。そんな暴言を日常的に受けていた理由が若い女性だったから、と気づいたのは随分後になったからです。そのような苦い経験が若いときに日本を出ようと思ったきっかけとなったと思います。

カナダに住みにゆきます。
バイクでアメリカ大陸を横断します。
メキシコで芸術家になります。
芸術でより良い社会を築きたいです。

振り返ってみると、たとえ規模は小さくても、完璧にうまくいっていなくても実現できていることが多くあります。幼少の頃からうまく一緒に会話ができなかった父だけは何一つ否定することなく、私の夢を支えてくれていました。晩年は出版物に私についての記事が出るのが、とても嬉しかったらしく親戚にファックスを送っていたそうです。

Dream House, Ixmiquilpan, 2007
写真: ソリジャ・タロウ

多くの人々が夢を持っていても家族のことや経済など、様々な理由で断念しなくてはいけない場面に沢山あってきました。社会の問題、家族、他人に振り回されながら、都合の良いコマとして使われることに収まってしまい、苦しみ続けている多くの人々の話を聞きました。結局は他人の目を気にせずに、自分の中に成功基準を持って、好きで続けられることをすることで、経済を回してゆくのが一番の方法だと実感しています。

Dream House, Ixmiquilpan, 2007
写真: ソリジャ・タロウ

戦後に苦しい思いをしながら働いてきた世代の労働者の人たちは、お金を得るためには苦労しなくてはいけない、食うためには辛いことをするのは当たり前だ、楽しく生活するのは悪いことだという考えを継承してきたように感じます。日本で生活していた時に幸福を感じるのが難しかったのは、私の生活環境が、消費以外に幸福を感じる要素に出会うのが難しかったのと、幸福感を味わいながら同時にお金を得る方法が見つけられなかったからかもしれません。

Dream House, Ixmiquilpan, 2007
写真: ソリジャ・タロウ

私がメキシコにきた90年代のはじめ、私の両親と同じ世代のメキシコの人々はパーティー、ダンス、コンサート、映画、旅行など、幼少の頃からの数えきれないぐらいの家族と友人と遊んだ思い出話をしているのを聞いて、その中で築いた濃密な人間関係の中で仕事をしていました。仕事をやめても、首になっても、必ずだれかが助けてくれる、メキシコの就労が流動的なのは、嫌なことを続けていかなくてもどうにかして生きてゆく方法がいつもあるからです。日本の同世代の人たちとは全然違う生活様式であることが分かりました。

夢を見て、環境に逆らいながら、苦しみながら実現し、戦いながら結果を出すかどうかよりも、夢を見続けて、想像の中で幸福に生き続けることの方が多くの人にとって大切なことなのではないかと近頃ではつくづく思います。


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