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【棚番号1】 未来につなぐ、アナログの世界

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萩原珈琲ってどんな会社? 歴史や伝統をはじめ、紡いできた技術。 アナログの世界だから生むことができる新しい取り組みや、ひととの関わり。私たちがなぜ存在するのか?未来につなぐ、ア…
運営しているクリエイター

#日記

パイロンとポール?らくがき板。

コロナ禍で、20年4月から本社勤務時間が短くなり、通勤ラッシュ時間をさけることから、勤務時間が変更となった。本社社員はフレックス制を導入し、8時間勤務を廃止。8:00~17:00の間の、7.5時間~8時間勤務で良しとしている。 一方で、本社一階には、小売りショップ「コーヒースタジオ」が設けられている。工場の直売所で、毎日20~30人くらいのお客様にご来店いただくが、閉店時間が18:00だ。ここで、問題が生じる。本社直売所(ショップ)は、本社ビル、シャッターの内側にある。つま

最後の1ピース。それは、利用者。地産地消から、ぬり絵まで。神戸市役所での取り組み。

10月半ば。地元、神戸市灘区の「minfactory」さんにお願いをした。ぬり絵のイラストで、「サンドイッチ」の絵。minさんにも実際に食べてもらって、そこからイメージを作ってもらった。 私たちの直営店の1つ、萩原珈琲店 127番地は、神戸市役所1号館1階にあって、スタンドタイプ(セルフ形式)のカフェ。私たちは、このスタンドカフェを最大の「チャレンジ拠点」としていて、様々な取り組みを仕掛けている。 市役所という立地において、私たちが目指しているものは「他行政にはない、市役

焙煎工場・焙煎室。灼熱と極寒の地。

萩原珈琲の焙煎室。 それは、天井が約3階建て程の高さがあり、広さも相当な広さがある。焙煎室には、4台の「炭火」焙煎機と、1台の大型撹拌機。そして、電子選別機(色を区別し、異物を除去する装置)が設置されている。 その焙煎室には、空調がない。 代わりにあるのは、超大型の排気口と吸気口だ。そもそも、屋根が3階ほどの高さで、広いスペースの温度をコントロールすること自体が、ほぼ不可能だし、仮に操作できても、その費用対効果がどれほどのものなのか…。 当然、真夏には室温が40℃近くまで

焙煎室の危険と火之要心。

焙煎師の仕事。 そこには、繰り返される日常と、稀に非日常的な出来事(イベント)が生じることがある。今日は、その非日常にスポットを当てた話。 種類にもよるが、炭火焙煎には概ね20分前後の時間を要す。 その際の火力はもちろん人間の力で調整していて、ガスや電気、熱風式のようにレバーやプログラムでは制御できない。炭の種類やくべ方、どのくらい投入したか?そんな感覚作業が重要だ。 非日常的なイベントは、突然やってくる。 それはまさに、サントス・ニブラ 極深煎りを焼いているときのことだ

生産と消費。「技術」の循環。鳥取県日南町・大宮炭。

ゆかりのある鳥取県日南町を訪問した時のこと。町役場・農林課のA氏と話をする機会をもらった。私自身は、「体の半分が日南町の血なんですよ。」などと談笑。「祖父の家は、江戸時代の建物で...。田畑の手伝い、川遊び、オオサンショウウオ、蛍、アマゴ、ヤマメ。そして、間延びする花火大会…。」まさに、自身の「思い出話」の押し売りだ。 農林業が中心である日南町。かつては「たたら製鉄」が盛んであったことを知る。たたら製鉄を中心とした産業が発達し、製鉄を支える「炭」もまた、生産が盛んだった。し

自由を選択。アフターミックス。

それはちょうど、料理を作るようなものだ。 例えば、あらかじめ出来上がったもの。 「◯◯出汁の素」のように、濃度は変えられても、ある程度味が決まっているもの。これをコーヒーで言うプレミックスだとすると、私たちはやはり、好きな調味料を、好きなだけ後から混ぜて、独自の味や出汁を作りたい。 ※プレミックス:生豆を混合し、まとめて焙煎する方法。 ちょっと濃いなぁ。 塩が多いですか?醤油?いやいや濃度? プレミックスの最大のデメリットは、一度作ったものは、消費し尽くさないとなくなら

約60年間、現役を続ける機械。

初代、萩原 三代治が使用していた「炭火焙煎機」。令和に入った現在でも、今なお、形を変えて活躍している、味のある機械だ。 実は、焙煎機の役目を数十年前に終え、現在は撹拌機として使用されている。ブレンドを作る際に、アフターミックスを選択する私たちは、お客様のご要望応じて、様々な配合を創る。それらを細かく対応し、「仕上げる機械」として、現在も第一線で活躍している。 構造 ①:炭火をくべていた部分の取り外し。 ②:シリンダー(窯)とモーターだけを残す。 ③:後から脚を取り付ける。

「摩耶ブレンド」とアイデンティティ

私たちは、昭和3年(1928年)に、和田市場(現:JR灘駅・北側)で創業した。 当初は、「萩原商店」として、市場の一角で缶詰や穀物などと共に、コーヒー豆を販売していた。(萩原珈琲の歴史 http://www.hagihara-coffee.com/ ) 店構えは、市場の一商店。小さいながらに、ずっと「上」を向いていた。 1961年に現所在地(神戸市灘区城内通)へ移動し、萩原珈琲株式会社を設立。やはりこの時から現在までも、90年間ずっと私たちは「上」を向いている。 和田市場

萩原珈琲の文庫室。始まります。

訪れた喫茶店で感じたこと。豆の種類毎の特徴や、萩原珈琲での使われ方。淹れ方を色々と変えてみたり。焙煎から出荷までの話。その他、色々。 日頃、自分達が思っている「こだわり」や「取組み」って、誰が知っているのか?このサイトを訪問した人だけが「知ることができる」それでよいのか?そんなことを漠然と考えながら、日々を過ごしてきた。 個人経営の喫茶店の減少、大手チェーン店の台頭。そして、人口減少。 喫茶文化がどんどん平均化され、お店独得の「空間や時間、会話」を楽しめる機会がますます減