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「摩耶ブレンド」とアイデンティティ

私たちは、昭和3年(1928年)に、和田市場(現:JR灘駅・北側)で創業した。
当初は、「萩原商店」として、市場の一角で缶詰や穀物などと共に、コーヒー豆を販売していた。(萩原珈琲の歴史 http://www.hagihara-coffee.com/ )

店構えは、市場の一商店。小さいながらに、ずっと「上」を向いていた。
1961年に現所在地(神戸市灘区城内通)へ移動し、萩原珈琲株式会社を設立。やはりこの時から現在までも、90年間ずっと私たちは「上」を向いている。

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和田市場で商店を営んでいたころ。前の道(現在のミュージアムロード)を「上がり」、王子動物園、王子競技場を経て、青谷川にそって進むと、青谷道(登山道)に行き当たる。また、現在の会社から、まっすぐ道を「上がって」いくと、神戸市立福住小学校や兵庫県立神戸高校を経由し、上野道(登山道)に行き当たる。そう、どちらも、私たちの象徴的な山、「摩耶山」に通ずる道なのだ。 

灘区には大きく言えば、2つの有名な山があって、一つは六甲山。もう一つは摩耶山だ。この摩耶山は、六甲山系に含まれ、代表的な六甲山に隣接する。勝手な思い込みかもしれないが、個人的には「観光の六甲」、「地元の摩耶」という印象が強い。

事実、私の出身である保育園~高校を出るまでは、「耐寒登山」と称し、毎年、摩耶山を登るし、各校の校歌や賛歌には、必ず「摩耶山」が登場する。

摩耶の麓の朝もやけ…。摩耶の嵐や…。摩耶を背に…。特に印象が強いのが、出身校である小学校の校歌だ。

①:摩耶山を見上げ、鏡として学びなさい。②:摩耶山に登ると、海を越えて紀伊も淡路も見える。そんな広い海よりも、広く、色々なことを学ぼう。③:摩耶を源流とする青谷川。そのたゆみない流れのように、努力を惜しまず、これからの日本を支える一人となりなさい。

ちょっと、怖いくらい…。

部活動の練習でも、登ったり走ったり。40歳前になった現在でも、月に1度は登る。そんな、私にとっての、ちょっとした「アイデンティティ」を感じる摩耶山に想いを馳せ、会社の創業90周年に合わせて作ったのが、「摩耶ブレンド」だ。

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地元のゲストハウス萬家(MAYA)の屋上に昇り、撮影させてもらった一枚。
王子動物園の観覧車越しに「映る」摩耶山が、特にお気に入りだ。

また、デザインは、地元灘区のnaeistこと、慈氏に多大なご協力をいただいている。
MAYAの頭文字から取った、MとYに「意味」を吹き込み、山上のお寺摩耶山 天上寺の屋根の「くもと」から、摩耶にたなびく青雲を表現。そして、必ず入れたいと願った「青谷川」を、神戸インク物語の「青谷カスケードグリーン」から採用している。何よりも、このロゴ全体が、「ふるさと」を表している。

従来の萩原珈琲のイメージである、重厚感のあるどっしり濃厚タイプとは一味違い、純粋に摩耶山と自分の思いだけをイメージし、配合したブレンドコーヒー。山上で神戸の町を眺めながら飲む。麓から、摩耶山を眺めながら飲む。いずれも、私自身は爽やかで、軽やかに飲みたいと思っていて、「甘く果実感のある軽やかな酸味と、重たさを感じさせない、すっきりとした爽快な飲み心地」が最大の特徴となっている。

神戸市の中でも、自身のふるさとに焦点を当てた、ピンスポットライトの世界、摩耶ブレンド。それは、コーヒー屋に生まれた私自身の「代名詞」なのかもしれない。 ※ 摩耶山情報 → https://www.mayasan.jp/ 

★姉妹ブレンド「MAYA KANKOHOTELブレンドはこちら☑」

※このコーヒーの売上の一部を、摩耶山再生の会を通じて、摩耶でのイベントや坂バスなどに寄付致します。

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