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仕事の心構え

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会社の方針や、見聞きしていいなと思った考え方を思い立つままに綴っています。 このマガジンの内容はKindle本でも好評発売中です。
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#考えたこと

営業活動にかえて

コロナ禍の中、いつものような訪問営業もなかなか行きづらくなりまして、これまでのやり方、考え方、価値観を変えて対応していかないといけなくなってまいりました。 今回のコラムも、そんな営業の一環として始めさせていただきました。 事業経営とは、お客様の要求に合わせて混乱し、その混乱の中から新たなサービス体制が生まれるものなのだと学んできました。 今回の混乱においても、ここから新たな取り組みが生まれて、今後のスタンダードになっていくのだろうなと感じています。 また、在宅介護とい

リファラル採用促進のジレンマ

いったいいつから「リファラル」なんて言葉が、さも当たり前のように採用業界で使われ始めたのでしょうか。 とにもかくにも横文字使用の多い業界という印象が強いのですが、採用担当である限りはそのあおりを受けて、仕方なく受け入れて自らもいつの間にかその単語を使用するようになっちゃっています。 当社においては、もともと「社員紹介制度」という名称の制度を設けておりましたので、これがリファラル採用に該当するものとなります。 たまにチラシを使用したり、配布する紹介カードを使用したりという

複数のケアマネジャーが集まる意義

前回は、ケアマネジャーとして事業運営していく負荷が増えてきたこと、それによってなり手が少なくなってきたことについて触れました。 また、やりたいという人が少なくなってきたからか、新たな法改正ではケアマネひとりが受け持つ担当者数の上限が増やされました。 今ではひとりで40名の介護保険のお客様を担当するまでになっています。本当に大変なことです。 当社でも、数カ所のみ「ひとりケアマネ」で事業運営をしている拠点がありますが、現在は多くの拠点が複数名のケアマネジャーを擁しています。

ケアマネジャーが不足してきた現状

ありがたいことにこのコラムは、介護業界以外の方も読まれることがあるため、今回のテーマであるケアマネジャーについて少し説明をさせていただきます。 もともと介護保険が始まった際に、介護給付はサービスの現物給付になりますので、要介護度に応じて利用できるサービスの上限額が定まってしまうことから、その限度額の枠内で果たして日常生活の継続に必要なケアを十分に活用できるかどうか、その計画作成を代行するプロフェッショナルな存在としてケアマネジャー(介護支援専門員)が生まれました。 誤解を

上司と部下が求めるイメージの差

現在、研修の企画をしています。 きっかけは地域子会社における研修からだったのですが、コロナ禍が始まった年に入社してきた新卒のスタッフたちは、入社式から研修に至るまで全てにおいてリモート環境を余儀なくされたため、同期入社の仲間たちをリアルには知らないという問題が浮上しました。 正確には、同じエリア同士の新卒はともかくとしても、所属するグループ会社が違ってしまったりすると、もう名前どころか顔も分からない状態であると。 リモートのパソコン画面に、何十人と顔と名前が表示されてい

理屈と情理

採用部門の担当者として年間の目標採用人数を採用していく必要があるわけですが、おそらく世界で一番の人材紹介会社数を誇る日本においては、高騰し続ける採用単価の問題はあるものの、それでも費用をかけさえすれば採用自体は何とかなるものだと思っています。 というか何とかしないといけないのですけれどもね。 ところが問題は、人を採用できるかどうかよりも、人を増やせるかどうかという方にあります。 当たり前ですが、流出していく退職者を止めなければ、どのような規模感の組織でどれだけ採用予算が

分かりやすい文章を心がける

ここ最近、SNS上にて友達申請で繋がった人と会う機会が少しずつ増えています。 と言っても、決して怪しいSNSではなくてビジネスに特化したものなので、お酒はよく入るもののとても健全な集まりなので誤解のないようにお願いいたしますm(_ _)m そもそも、ここで書いている文章はもともと会社の宣伝のために始めたものであって、それを配信するメルマガだけでなくて、どこか別のプラットフォームでも配信できないかと辿り着いたのがブログであったりビジネスSNSであったりするわけです。 なの

話に臨む姿勢

これまでこうしたコラムを400回近く綴ってまいりました。 テーマ選びや言い回しなど、なるべく炎上したり突っ込まれたりしないように気をつけているつもりで書いてきたこともあってか、同じ内容をブログなどに掲載してきましたが、幸いにも嫌な思いをするようなコメントを残されたという経験はそれほど多くはありません。 ただ、ごくたまぁ〜に、「どうしてそんな言い方とか訊き方をしてくるんだろう」というコメントに出くわすことがあります。 そうしたコメントにも、細心の注意を払って回答をしようと

共生社会の到来

なんでこんなに新たな横文字を受け入れるのが好きなのか分かりませんが、ダイバーシティという聞き慣れなかった言葉が、ようやく「多様性」という分かりやすい表現に落ち着いてきたなと思っていた矢先、今度はインクルージョンなんて言葉が出てまいりました。 直訳すると「すべてを包括する、包みこむ」などという意味で、企業においては、すべての従業員がきちんと尊重され、個々が能力を発揮して活躍できている状態のことを示します。 これも最近は「共生(社会)」なんて表現にもなってきていて、なんだちゃ

前向きな諦め

「あきらめる」 この言葉だけからだと、どちらかというとマイナスのイメージがあるのではないでしょうか。 たとえそれが本意であってもなくても、物事を途中で放り出したり投げ出したりする行為についてこの言葉を使用しますよね。 漢字で書くと「諦める」。 実はこの言葉の語源は仏教用語の「諦観(ていかん)」にあるようです。 真理や道理のことでもあり、物事の道理を明らかにすることで至る心境のことでもあります。 「諦める」ことで、現状を受け入れることが可能となり、だからこそ解決の方

安定と安全の先にあるもの

今の会社に入社して上長としての役職に就いて以来、ずっと言われ続けてきたことは、社員の望んでいることは「生活の安定と向上」であり、その願いを叶えるために組織は成長し続けねばならないということ。 例えば、私の所属する今の会社は、今日現在で約870ヶ所の拠点展開をしています。 29年前に入社した当時の拠点数はというと、わずかに14ヶ所でしたから、今日までの間に800人以上の新たな拠点長と、そうした拠点を束ねていくエリア長やそのまた上長など、多くの役職者を輩出してきています。

配信の仕組化と投稿頻度

最近は更新頻度がめっきり少なくなってしまいましたが、コロナ禍から始めたこのコラムも早いもので4年目に突入しています。 問題は、現場から離れた今、日々の刺激が少なくなってというと語弊がありますが、まあひと言でいうとネタ切れが起こっています。 ただ、ありがたいことに配信のプラットフォームを限定しなければ、新たなSNSなどではまた最初から投稿を始めればいいので一年間分くらいはネタに困らないというのは強みになっています。 また、これも最近知ったのですが、サイトによっては自動化が

自分に求められている話し方を知る

会議などにおいて、言いたいことは良く分かるのですけれども、「ちょっとその表現は不適切なのでは」というような言い回しをしてしまい、結局言いたかったことよりも不適切な表現の方の印象をその場にいる人たちに強く残してしまい、場合によってはそのこと自体を叱責されてしまうというような場面にたまに出くわすことがあります。 よくニュースなどで世間を騒がせてしまう政治家の不用意発言などもこれに該当しますよね。 でも、本当に「不用意」で済ませてしまっていいのでしょうか。 多くの場合、こうし

なぜだか相手を責めているように感じさせてしまう人

一緒にいて直接話している時には、あまりそういうことを感じることは少ないのですが、いざメールやメッセンジャーアプリなど文面でのやり取りを始めると、途端になんだかモヤモヤするようなマイナスの感情やイメージを相手に湧き起こさせてしまうような人がいます。 勝手な決めつけかもしれませんが、そもそもこういう人はモラハラ体質の人に多い傾向があるような気がしています。 以前もキャッチボールとドッジボールの違いについて触れましたが、文章の交換上においても、無意識なのかもしれませんがドッジボ