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社畜新学#6 ライフワークバランス若者を軽視する中年 vs 社畜中年を冷めた目で見る若者

長いタイトルになった。

突然だが、弊社はかなり労働環境がホワイトな部類だと思っている。

各種SNSで「社畜」を名乗っておきながら、こんなことをいうのもなんだが、本当にそう思う。

繁忙期は別として、平常時に残業もあまりないし、休みも取りやすい。
周りに共有せずに仕事に穴をあける、とかがない限り、とやかく言われない。
有給休暇も特に理由は聞かれない。
時間有休も取りやすい。

「お互い様」の空気感で成り立っている。 
(部署によってはそうともいいきれないこともあるが、、、)
給与水準が高いわけではないが働きやすい、いわゆる、ゆるふわホワイトに分類されるだろう。

ここ最近、弊社の人材採用の場面では、ライフワークバランスや休みの取りやすさを積極的にPRしていると聞く。
そういったことにプライオリティを置いている人材が定着しているからだろう。
そして、私生活の充実を重視している優秀な人材を一定数確保できているとも感じている。(高給激務な業界ではないことを考えると、そこまで高い給与ではなくても能力が高い人材を取れているのだから、採用戦略的には成功しているのかな、と個人的には思う。)

一方で、昭和の名残がある層は少し寂しそう。
休みの日でも平気で会社に来させて仕事をさせる、相手が休みだろうと聞きたいことがあれば電話をかける、長時間労働・休日労働上等。
一昔前はそんな働き方をしてきた私たちくらいとその上の世代。
時代的にそういったことはコンプラに引っかかることを理解して、これらを若手に強要する姿はもはや絶滅危惧種となった。

ただ一部の管理職は、いまだに休みだろうと会社に来て仕事をする。
約20年前、若手だった頃の私は、そんな姿を見てカッコいいと思っていたし、早く大きな仕事を回したいし、会社で肩で風切って歩けるようになりたい、そう思っていた。

だが、今の若手たちは休みの日であることを厭わず会社に出社する一部の管理職を冷めた目で見ている。
そして自分たち以外の若者も会社LOVEだと信じて疑わないから、間の世代からみるとギャップがすごい。

若者たちは本人の前でこそ言わないが、見えないところでは、

「休みの日に仕事なんて、真面目ですよね」
「残業手当も出ないのによく働きますよね」
「休みの日に来られたら、何かこっちが監視されている気になります」
「ああはなりたくないですよね」
「仕事以外に何もないんですかね」
「給料を考えたらあそこまで働けないですよ」

まぁ、アルコールが入る余地のないバックヤードでもアルコールで心が解放された飲みの席でも、まぁ出るわ出るわ。。
えらい言われようだ、、(これ以上は自粛)

私は直接の上長ではない「部下なし管理職」で出世コースからコースアウトした存在だったから、若者も少しは心を開いて言ってくれているとは思うのだが、こちとら少し前までバリバリの会社中心の社畜。

真面目=つまらない・面白みがない・上から言われたことを考えなしにやる、というネガティブな文脈で使われるようになったんだな、最近と実感すると同時に、こんな風に言われているのを聞いていてちょっと辛くなる。



そんな若手が心惹かれる「ライフワークバランス」。
昭和世代がイメージする「楽をするために手を抜いている」とも少し実態が違う。

若手のライフワークバランス派は、大きく分けて2パターン。

①趣味充実タイプ:

昔は酒を飲む、ゴルフをする、ギャンブルをするくらいしかサラリーマンの娯楽がなかった。(ちょっと言い過ぎかも。ごめんなさい)
だけど現代は趣味が多様になった。これまでマイナーとされてきた趣味であってもSNSでつながることができるようになったので、ネットワーク作りや情報交換が容易になった。
よくよく話を聞くと、弊社でも全国レベルやプロレベルで趣味に取り組んでいる若者も少なくない。

すごいことだ・・・

そして、そう言うところで繋がった人脈や知識を聞かせてもらうとなかなか面白い。
きっと社内だけでそういった知見を得ることは難しいだろうな、、

②セルフブラックタイプ:

こちらの若者もすごい。
上に書いた社畜管理職への冷めたコメントからは想像もつかないが、「社会人大学院で勉強はじめました」「副業はじめました」「資格の勉強をはじめました」「趣味でやっていた◯◯をお金稼げるレベルにしたいです」など、
タイムカード押した後にさまざまなことに取り組んでいる。
会社の中だけでは成長できないから、社外に場所を求める時代の真っ只中にいるのだな、と実感させられる。

昭和時代は、働く→収入が増える→豊かになる、を会社の中で与えられた仕事を頑張ることで実現できた。
そして現在60代で嘱託社員になった人や現在定年間近な人たちは、今でもそのやり方が正しいと信じ込んでいる。
だから残業・休日出勤することが収入を上げる唯一の正解だと思っているし、そういうことを厭わないレアな若手を見ると、

「最近の若者の中では見どころがある」と褒める。

今の若者にとっては、生まれた時からモノは最初からある。そこそこ不自由はない。だけど給料はあまり上がらない。
そんなことはもはや常識だ。

時代は変わったのだ。
「定年間近の世代、嘱託で働く世代がこう思うだろうから、、、」
意思決定の場面で、彼らに忖度する時代はもう終わったのだ。

自分たちの世代やさらに若い世代は、会社に尽くしているだけでは老後は安泰ではない。会社に尽くすことの見返りだけでは老後の人生設計はできない。
だから、外に求めるようになるのだ。
外で活動する可処分時間が欲しい。

そう考えている若者を見て、最近の若者は仕事に真剣に向き合わなくなってきた、と言い切ることはできるだろうが。

私にはできない。

就業時間が終わってから生活のためにダラダラ残業する。残業時間が減ると収入が減るから効率化のための学習をしない。会社が終わってから、ダラダラ酒飲んで会社の愚痴を言っていることがストレス解消。そんなおっさんたちより、むしろよっぽど勤勉ではないか。


だけど中年として若者に1つだけ言いたい。

確かに外で得た知見は魅力的だろう。
そこでしか得られないもので、自分が勤めている会社では得られないことであるのは、事実だ。

だけど、
今君たちが直面している会社の仕事。
会社の仕事から得られるもの・全力で取り組んで得られるものも、そう捨てたものではない。会社の仕事からしか得られないものが多い。

きっと、
自社の仕事なんて・・、と思うかもしれない。
だけど、想像して欲しい。
今、会社の肩書きがなくて、君たちは会社でやっているのと同じレベルの仕事ができるだろうか。

恐らく多くの人は、会社の肩書きなしでは何もできないはずだ。
(僕はこのことに40代になってから気づきました。)

せっかく縁があって入社した会社だ。その会社の肩書きをうまく使って、経験を積み上げて失敗をしまくって欲しい。失敗を糧にして実績を出すまで試行錯誤してほしい。

会社の中でした失敗は、命まで取られない。
失敗は君たちの財産になる。その財産は老後まで持ち運ぶことができる。

何も昭和の価値観に染まる必要はない。
頭のいい、器用な君たちだ。
君たちのやり方を試行錯誤して取り組んでほしい。

若い君たちにとって、趣味であれ学びであれ副業であれ、外で得られるものが刺激的であることは想像に難くない。
そんなことを嬉々として話してくれる君たちを見ると嬉しく思う反面、少し寂しい気持ちにもなるんだ。

こんな僕だから、と話が通じると思って話をしてくれることは、すごく嬉しい。
キラキラした表情で学んだ話を教えてくれるときやおすすめの本を紹介してくれるときなどは特に。

一方で、そんな学びに貪欲な君たちに、社内で仕事が楽しいとか達成する喜びや成長を楽しむ感覚を伝えてあげられていない。
これは、間違いなく僕らの責任だ。

時代が違うから同じように、とは思わないけど、
僕らが長時間労働して肩で風切って歩く上司先輩をかっこいいと思って、車内で仕事を頑張ろうと思わせてくれたように、君たちに仕事の醍醐味を伝えられていない。
なりたいと思われる上司像を見せて、仕事の楽しさを伝えられていない。


ワークライフバランス、コンプライアンスと旗を掲げている行き過ぎた個人主義は誰に対しての免罪符なのか。

Z世代の若者?

いや、違う。

彼らの指導をするべき私たちの世代〜その少し上の世代に対してだろう。やるべきことをやらずにいるための免罪符。

どうせ給料が上がらないから、
自分たちのことで精一杯だから。
そうやって見て見ぬふりをすることを、そろそろやめよう、と思う。

若者世代のためだけではない。
他ならぬ自分たちのためにも。



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