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フィクションじゃない人生

あなたの人生は劇的だろうか?

学校に行こうとして
食パンを口にくわえた女子と
運命の衝突を経験したり。
(古い.…古すぎる)

高級車で
カーチェイスを繰り広げ
悪の組織を煙に巻いたり。
(めちゃかっこいい。)

蜘蛛に噛まれて
蜘蛛の能力を手に入れ
街中を飛び回るヒーローになったり。

そんなジェットコースターのような人生を
期待しているだろうか?


僕はそんな人生を期待してはいない。

ジェットコースターは
子どもの頃から苦手だ。

テーマパークにある、
あの乗り物に
(厳密には他の絶叫系も)
数千円(入場料込み)を払って、
命を預ける気にはなれないのである。

こんな僕でも
乗ることができるのが
観覧車である。

数百円で乗り物に
命預けてんじゃん!
と言われそうだが、
そこの矛盾にはご容赦願いたい。

僕は高所も好きではない。
それでも観覧車にだけは乗れるのだ。

AI 作

観覧車に乗れるのはその速度のおかげだろうと思う。

恐怖を感じさせない速度。
子どもでも乗ることができる速度。
つまり、安心安全な速度なのである。


ジェットコースターに乗って
頂上から手を真上に上げ
絶叫と共に落ちていく。

そんな経験をした人たちは
みんな清々しい顔をして
『怖かったけど、最高だったね!』
とイキイキしている。

正直に言うと、
『みんなすごいなー』とは思う。

しかし、
『羨ましい!』とは思わないのである。

ここがポイントで

僕の人生はいつからか
『他人は他人。自分は自分。』
というところを徹底している。

隣の芝は青く見える。とか

人の花は赤く見える。とか

人にはそれぞれの
人生観や背景があって
それをすべて理解することは
できないのである。


隣の芝は青く見える。が、

手入れには手間や時間が
ものすごくかかっているかもしれない。


隣の花は赤く見えるが

夕陽でたまたま赤く見えたとか
絵の具で赤く見せていたとか
かもしれない。


そういう価値観の違いや
理想と現実の違い
嗜好や趣味の違い
内向的か外向的かの違い。
資産や能力の違い。

などを受け入れて
自分自身と向き合うと

自分の人生を最大限、
自分のために使って
生きることができる

と思う。

インスタなどのSNSで見る、
誰かのキラキラした人生は
言わばフィクションと同じなのである。

フィクションはフィクションとして
楽しもう!

そこに嫉妬してはいけない。

誹謗中傷も含めて
ネットが普及しすぎたおかげで

みんなフィクションに
一生懸命になりすぎている気がする。

自分の人生を一生懸命生きていれば

フィクションはフィクション
でしかないのである。

フィクションじゃない人生を
楽しもう!


フィクションじゃない人生の
アクシデントは

ランニング中に、
カラスの群れからフンを落とされ
『うんがいいってことだな。』
と少しいらだちながら
シャワーを浴びる。

それくらいで充分なのだ。


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