わからない未来に向かって「いま」を生み出すもの

『急に具合が悪くなる』 哲学者  宮野真生子さん著
            人類学者 磯野真穂さん著

コロナに罹りました

大晦日から風邪のような症状がずっと続いています。頭痛と鼻水とのどの痛み。特にのどの痛みは今まで経験したことのないもの。

昨日職場の所長さんに連絡して、出勤してもいいかどうかをお聞きしたら、「出勤せずにできるだけ早く病院に行くように」という指示があって、今日病院に行ってきました。

検査をしたら、陽性。はい、コロナでした。

コロナが大流行していた時にも会食したり、友達に会ったりしていた私は、奇跡的にコロナに罹患しなかったのです。なぜ今になって・・・?どこで罹ったのだろう?

家に帰って職場に電話して事情を話し、週末約束していた友達にお詫びのLINEを送りました。週末の約束をすごく楽しみにしていたので、とても残念です。

元旦に差し入れを持ってきてくれた次男もうつしていけないと思って、
「おかんコロナだった」
とLINEを送ったら、
「マジか~❓笑笑」
と。なんやねん?笑笑。「笑いごとちゃうで」とツッコみたかったのですが、なんだか少し気持ちが和みました。

そのあとで、「ブログ楽しみにしている」と、次男からLINEが。読んでくれているんや!すごく嬉しいです。彼のLINEに背中を押してもらって、今日もブログを書きます。


長男との電話

私はブログでよく次男のことを書いていますが、次男の上に、博多で暮らしている長男がいます。彼はサラリーマンで結婚しています。

長男の奥さんと、元夫や次男それに私はちょっと問題を抱えてしまいました。詳しいことは奥さんのプライバシーの問題があるので書けませんが、元夫や次男、私の中に長男の奥さんに対する「?」が芽生えてしまいました。

そんなこともあって、長男と疎遠になってしまったというか、わだかまりができてしまいました。そのことがずっと気がかりでした。
「どうしているかな?元気でいるかな?」
と案じていました。

そんな長男と2日に電話で話すことができました!しかも30分くらい!

帰省中だった長男。仕事のことや奥さんのことをたくさん話してくれました。

仕事場で頼りにされて、とてもやりがいを感じて働いているといる長男。イキイキと働いているのがその口調から伝わってきました。
奥さんとも喧嘩をしながらも、仲良くやっている様子。ちょっとホッとしました。

「俺、男やけん、家庭を持ったけんな、一生懸命働いて奥さんを幸せにするのが自分の役目やと思っとるんよ。頑張るけん、温かく見守ってな」
「おかんも体に気をつけて、長生きしてな」
「相変わらずおかん、友達いっぱいなんやろう?おかんが幸せに楽しく暮らしていてくれると、なんか俺も安心やわ」
と、心温まる言葉をくれた長男。その言葉をできるだけアクティブリスングするように心がけました。

会いたいけど、もっと話したいけれど、その気持ちグっと抑えて見守ることも「愛」なのだと思いました。いろいろな愛のカタチがあるのですよね。私なりに精いっぱい彼の幸せを祈り、応援していきます。


『急に具合が悪くなる』を読み終えて

次男が貸してくれた本『急に具合が悪くなる』という本を読み終えました。いや~すごい本でした。読み終えてしばらくは、感動というか何かこみあげてくるもので胸がいっぱいになって、何もできませんでした。こんな感覚は久しぶりでした。

がんの転移を経験しながらも生き抜く哲学者の宮野真生子さんと臨床現場の調査を積み重ねた人類学者の磯野真穂さんのまさに魂と魂がぶつかり合う往復書簡。それがこの本です。

そしてお二人のそれぞれの学問の知識が随所に散りばめられていて、生きること病に冒されること、そしてどうやって死に向き合うかについて深く考えさせられました。

磯野さんは、癌に冒された宮野さんの往復書簡の伴走を引き受けたのですが、すごく苦悩されます。宮野さんにもっと生きて欲しかったからです。死んでほしくなかったからです。

私が、宮野さんのように死を宣告されてとしたら、こんな風に自分の生きた軌跡を書き記すことができるだろうか?

また、磯野さんのように死に向き合う人と出会ったら、その人と何を語れるだろうか?と深く考えさせられました。


わからない未来に向かって「いま」を生み出すもの

たくさん印象的な言葉があったのですが、特に心に残ったのは宮野さんの、
「私たちが生きる現実というは結局のところ必然なんて言えないんじゃないか?」

「私たちの生きる現実とは、この一瞬にたまたま様々な原因が重なり合って、『いま』が生まれ、新しい予想もしていなかった未来が展開してゆく、そんな風に成り立っているのではないでしょうか」

「わからない未来に向かって『いま』を生み出すもの、それが偶然なのだ、だから偶然は「現実の生産点」なのだ」という言葉です。

この「わからない未来に向かって『いま』を生み出すもの」「偶然は『現実の生産点』」という言葉にとても惹かれました。

長男と次男。私が掛値なく愛する二人の息子たちの誕生も、彼らとの今日までの日々も、思えばたくさんの偶然が重なりあって生み出されたものです。

彼らと別れた後、自分を責めて悲嘆にくれた日々もあったけれど、今こうして前向きに生きることができている私。それは瞬間瞬間に私が出逢ってきた人や本や、音楽や映画やetc のおかげです。それらの偶然が「いま」を生み出してきてくれたのです。そして私を未来へとつなげてきてくれているのです。

未来がどうなるかなんて、誰もわかりません。元旦からあんな大地震が起きるなんてだれも予測できませんでした。私も、まさかお正月からコロナに罹るなんて思ってもみませんでした。

未来はわかりません。わからないから怖いものだと思う人もいるでしょう。辛いことも悲しいことももちろんあるからでしょう。

でも私は偶然を信じてみようと思います。未来を信じてみようともいます。やれるだけのことはやって、あとは「いま」に身を委ねようと思います。

コロナからスタートの2024年。どんな一年になるかはわかりませんが、「いま」に身を委ね、「いま」を重ねつつ未来に向けて生きていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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