見出し画像

新型コロナの進撃が止まらない!

新型コロナのエビデンス

もう年内は、新型コロナ関連の記事は書くまいと決めていたのに、次から次へとニュースが飛び込んできて、書かずにはいられなくなってしまった。

記事のタイトルとしては、これ(↓)がダントツに面白い。

面白いというのは不謹慎かもしれないが、この中で、「目玉焼きモデル」についても述べている。実際、こういった理論は実地で証明されていくものだが、いわゆる「エビデンス」というものは、新型コロナにおいては、論議の的にしても意味がない。

このレポートでは、Go Toキャンペーンと、新型コロナの拡大に、時期の符号という明確な因果関係があるのだから、これがエビデンスだというのだが、エビデンスというものは、そんなものではない。研究施設において、動物実験など、年単位の研究があって初めて明確にされるものがエビデンスであり、そんなに簡単に「証明」されるようなものではないのだ。言葉の意味を、適当に間違って使うのは止めていただきたいものだ。

でも実際に、連日ニュースと言えば、新型コロナのニュースばかりだが、BCGとの関連性については、以前から取り沙汰されている。

でも、それこそ、エビデンスがないので、なんとも言えないが、因果関係がありそうだから、日本人は結構大丈夫「かも」しれないというのが、本音であろう。ただ、だからといって、安易に大丈夫であろうというのは、間違っていると、私は考えている。

新型コロナとインフルエンザ

ただ、冷静に、新型コロナとインフルエンザを比較して考えたとき、その脅威のほどは、それほどでもないと思われる。

また国内でも例年、インフルエンザではピーク時に1日数万人が発症し、死者数は平均50人程度。新型コロナは感染者数も死者数もどちらもそれをはるかに下回っていることを忘れてはならない。

上記記事の中で大事なことは、この引用した部分だ。新型コロナは風邪のようなものだと主張して、マスクをしないで過ごす人たちの主張している論点がまさにこれになる。まあ、それ自体は確かにそうだと私も思うが、だからといって、マスクをしないで周りの人たちに不愉快さを与えるのはどうかと思う。

そういうわけで、私は外出する際にはマスクは欠かさないが、飲食店に入って、席についたらマスクは外すようにしている。基本的に、これで良いのではないかと思っている。お茶を飲みながらお友達と話をするのにマスクをしているというのは、やはりちょっとおかしい。

そもそも、「人はいつか死ぬ」ということを、皆忘れてしまっているのでは無いかと思う。人間は、不老不死ではない。理由はどうであれ、必ず死ぬのだ。それは運命とか、定めとか、そういうことではない。寿命というものがあるということだ。それが長いか短いかということであり、予告があるかないかということで、それがゆっくり訪れれば覚悟も決まるが、突然だと、その事実を本人も周りも受け入れられないから、それのみが、問題なのである。

Go Toキャンペーンとその財源について

しかし、Go Toキャンペーンがどうのこうのという論議はあるが、その財源について、考えたことはあるだろうか?

本音を言うと、Go Toキャンペーンがどうとか、そういうことはどうでもいいことだ。むしろ、それだって、結局は税金から適用されるものなのだから、経済が圧迫されれば、将来的に増税も止むなしとなり、消費税の増税の話がいずれ浮上してくるのが目に見えている。なぜこういうことを誰も論議しないのか、個人的にはとても不思議に思う。

Go Toキャンペーン、各種給付金、補助金など、すべて元を正せば税金だ。そもそも、政府の財源は税金だ。それしかないといってもいい。昔で言えば、年貢というやつだ。年貢というと、悪い響きしか無いが、そんなものだ。警察の駐車違反きっぷや、税務署の脱税の摘発などは、独立自治体の独自財源となるもののはずなので、そういう政府系の収益モデルを別にすると、やはり税金しかない。

実際には、その税金を「投資」したり「運用」したりして、国家的に利益を得てはいるのだが、そういうことは、ほとんど明るみに出てこない。表に出してはいけないこともあるからだと思う。そもそも、お金の運用に、キレイなものなど、ありえないからだ。まあ、これは、個人的な感覚によるものだから、それについてはこれ以上、とやかくいわないでおこう。

さて、それで、今後の我々のとるべき対応策だけが、問題となる。

イギリスで発生したコロナ変異種は、第三波なのか?

これは個人的な感覚なのだが、今、イギリスで流行りだした第三波の流れを踏んだコロナ変異種は、もはや第三波ではないような気がしている。

そもそも論となるが、いつか、どこかの記事で読んだが、いわゆるRNA配列とその分裂の過程を考えると、11月頃にはコロナは落ち着くであろうというようなものがあったような気がする。細胞分裂だったか、その複製の回数自体に、回数制限・上限があるので、11月頃にはその回数の上限に来て、その頃には自然に落ち着くであろうというのがその記事の内容だったように記憶しているが、この新種株のニュースは、その理論を打ち砕くに値するほどのニュースであったので、個人的には注目している。

ただ、私は一貫して主張しているが、この新型コロナは、感染力は増すものの、致死率は高くならないはずであると思っている。だから、気をつけるべきは、新型コロナウイルスそのものではなくて、それにまつわる「心のもやもや」による弊害である。

新型コロナが怖いからワクチンを打って、それがもとでアナフィラキーショックとなって死亡するなど、言語道断である。馬鹿馬鹿しにもほどがある。でも実際に起こりうることであるので、ワクチンの接種に関しては、慎重になるべきである。個人的には、ワクチンというシステム自体に反対派であるので(理由は、ワクチンの中に水銀を使用しているはずだからというものと、自然に任せるべきという考え)、したい人はすればいいと思う。でも、高齢者であればあるほど、しないに越したことは無いと思っている。危険度が増すというのと、老人は若い子よりも先に死ぬべきだと思うからだ。

でも、これからの2021年は、イギリスで発生したコロナ変異種が主流になってくると思われる。これが第三波だとは、個人的には思っていないが、一般的には第三波として認識されている。その認識が正しいかどうかは、今後の状況に感染の広がり具合によるのでは無いかと思う。

ただ今後、おそらくは、昔「百匹目の猿」という本があったが、あれと同類の現象が起き、全世界的に、その感染源が追いきれない、不思議な、同時多発的なコロナの変異種が数種、全世界的に発生してくるのでは無いかと思う。

ただ、そのような変異種が発生したとしても、致死率は低い水準で維持されるに違いない。むしろ怖いのは、エボラウイルスのようなウイルスと新型コロナウイルスの混合種が発生したときだ。要するに、致死率は非常に高い水準で維持され、さらに、感染力は爆発的というもの。

こういうのは、普通は発生しようがない。もし発生する可能性があるとすれば、ウイルス関連の研究施設からのバイオハザードであろう。そういうことがもしあれば、それは、それこそ人類の生存をかけた、ウイルスとの闘いとなってしまう。

そんな時代が訪れないことを、ただ祈るだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?