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VTuberは電気羊の夢を見るか?

私が十代を過ごした昭和の時代。
教室では深夜ラジオ番組の話題で終始盛り上がっていた。
この時代の業界を取り巻く雰囲気は、小林信彦の小説を読むと分かりやすいかもしれない。
番組の人気を盛り上げていったのは、ハガキ職人と呼ばれる一般聴取者からのユニークな投稿の数々だ。

そして、同時代に同じ仕組みを取り入れて人気を博したのが、週刊少年ジャンプの巻末に掲載されたジャンプ放送局だった。
投稿作品を中心に紙面を構成する雑誌は、ファンロードなど他にも多数あったが、週刊ベースで掲載するというレスポンスの速さはラジオ番組と同じくらいのライブ感があった。

時事ネタは1カ月も経つと鮮度が落ちる。
とにかく最初にやったもの勝ちで、面白いネタは次々とフォロワーが現れて派生したネタがさらに載るという熱気に満ち溢れていた紙面だった。まるで打ち上げ花火を観ているような楽しさだった。
今でいうと、お題に次々と乗って行くツイッター界隈のトレンドに似ているかもしれない。


スタッフを始め、編集者も次々と属性を発掘され、キャラクター化していった。
桃鉄の貧乏神のモデルとなった「えのん」や鳥山明のキャラそのままの「マシリト」なんかは有名だ。
有名人、業界人ばかりでなく、常連の投稿戦士も濃いキャラばかりだった。
今でもクリエイティブな現場で活躍している人は多い。

ユーザー参加型のコンテンツ実在の人物をモデルとしたキャラ作りは、このあたりの時代からだんだん一般化していったように思う。プロと素人との境界線は曖昧になり、クリエイターとパフォーマーは協業し一体化していった。

投稿はハガキからメールになり、SNSにシフトしていくなど、より即時性が求められた。
そして、ニコ動の登場でリアルタイムなコメントが、ライブイベントを盛り立てる演出の一部になっていった。


昨今のVTuberキャラによるライブステージを先取りしたイベントが過去にある。

Voca Nico Night - Live Stage - Day2 (花たん)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm18724917

ボカニコ花たん1

驚くなかれ、2012年の8月に行われたライブステージだ。
MMDモデルリアルタイムレンダリングを用いたこうしたライブイベントとしては、初めての試みだったと思う。

あのポン子が登場したのが、この年の12月。それよりも前の出来事だったから、鮮烈に覚えている。
実はこの時、私は現地に居てこのステージを観ていた。
なので、その後VTuberが出てきても、そんなに驚きはなかった。むしろ遅すぎると思ったくらいだ。


モーションキャプチャーリアルタイムレンダリング自体は、2010年頃にはMMDとkinectの連動で実現可能になっていた。
難しかったのは演者の表情トラッキングと、これをリアルタイムでキャラクターに反映させるシステムだ。

研究段階では2012年頃には、慶應義塾大学がアバターシステムをすでに開発していた。
https://www.youtube.com/watch?v=g68DuWPRDk0

一般ユーザーが入手可能なレベルでできるようになったのは、FaceRigが登場する2015年になってからだ。
それまではキャラクターモデルのフェイシャル表現は、演者の表情やトークの流れを見ながら、オペレーターが操作して表情操作や視線の制御を行うしかなかった。
つまり個人配信でできることではなく、複数のスタッフが協働してリアルタイム制御を手掛ける必要があった。


この辺の技術的な話は、ブラザーPさんのnoteが詳しいです。
https://note.com/brother_pv/n/ndc7cf0e716e8

しかし、せっかく日本の大学が先行研究で実現していた最新技術を、ビジネスシーンではルーマニアのベンチャー企業に持っていかれるとか。
日本企業の先見性のなさには、絶望感すら感じてしまうな。

せっかくミクさんが切り拓いてくれた道なのに、事業化投資に失敗してしまった。
クールジャパン構想なんていう、税金のばら撒き政策やってる場合じゃなかったのよな(――;


なぜ、こうしたリアルタイム性が人気を集める要因になったのか。
的確なディレクションとフレーム単位の編集によって、コンテンツを作り込んでいった方が完成度は高くなるのではないか。そう思うかもしれない。
実際に初期のVTuberは、かなり綿密に作り込んだ短い動画を次々にリリースするというやり方で、着実にファン層をつかんでいった。

それはひとつの方向性としては正しい。
ただ、どうしてもそこにはプロのディレクションによる予定調和の意図は隠しきれない。
そこにオーディエンスが介在する余地はない。


にじさんじ勢の台頭から、明らかに潮目が変わった。
個人レベルの生配信でも、CGキャラクターによるインタラクションが可能となったのだ。

これは画期的な出来事だった。
それまで声優さんはマンガやアニメ、ゲームなどのあらかじめ創られたキャラクターを演じ、その与えられた役柄に応じた声をあてていた。

キャラクターは知財であり、大事な商品だ。原作があるなら尚更だ。
商標および商品化権を持つ企業あるいは製作委員会が厳密にそのイメージを守ることが大前提であり、声優さんが勝手にその練り上げたイメージを覆すような発言なぞできなかったのだ。


ところが、VTuberはそのキャラクターのベースとなるような物語や原作など最初からない。それでも、いくらでもコンテンツは創れることを証明してしまった。
たとえ初期設定があっても、視聴者とのやり取り他のVTuberとの絡みでどんどん上書きされていく。

役柄の内面を深く掘り下げるメソッド演技法とは真逆のアプローチである。
時には設定を無視したキャラ崩壊すら辞さない。
委員長が清楚だと言えば、それは誰が何と言おうと清楚なのである。

声優さん本人の濃いキャラが、そのままむき出しの個性として輝き出した。
マンガ原作者やアニメ監督が俳優となって演技するようなものである。話のネタは、オーディエンスがいくらでも提供してくれる。
苦労してキャラクターをゼロから産み出して物語を描き出すよりは、自分そのものがキャラになって話出した方が早い。そりゃそうだ。


数々のアニメ作品で音響監督を務める長崎行男氏は、声優として最も大切な資質はセルフプロデュース能力だと語っていた。
https://animeanime.jp/article/2019/07/16/46949.html

ライバーとして頭角を現すような人物は、自分のキャラをよく理解しているうえに、企画力が優れている。生配信する前の、サムネの段階でもう面白そうだと思わせれば勝ちだ。
ニコ動でFLASH動画ボーカロイド・ムーブメントに触れた世代だからだろうか?

こうしたクリエイター、パフォーマー、オーディエンスがコンテンツを回し、創作の連鎖をしていく環境は日本ならではの文化である。
もしかしたら近い将来、膨大な数を寄せられるコメントやメッセージのなかから、AIが演者のパーソナリティに合った有用なネタを選定してくれる時代になるかもしれない。


攻殻機動隊が義体という概念を提示し、サイバーパンクが一世を風靡したあの時代。
テクノロジーの発達で、自分以外の姿形で別の誰かになれるという夢があった。

ところがネット時代となって匿名のアカウントを手に入れ、美少女のアバターで世に出たとして、天然もののヤベー奴には決して敵わなかった。オーディエンスの反応を見れば如実に分かる。おそらく声音を変えても同じだろう。
そうした才能の差が、絶望的なまでに可視化されてしまったのが今の時代だ。

けれど、エンターテイメントというのは、もともとそうしたものだ。
独特な嗅覚を持つごく一握りの天才がトレンドを作り、市場を席巻する。
たくさんのフォロワーが現れては消えていく。

この界隈は、一時期ほどの勢いはなくなってきたと言われる。
けど、まだまだ何が出てくるか分からない。
少なくとも、地上波のバラエティ番組を見ているよりは余程面白い。
そう思わせるだけの魅力がまだまだあるからだ。

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