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稽古場記録から一歩外側へ。情報だけに終わらない文章を考える。

今回の舞台で「人間は、誰かに思いを残すため、試行錯誤をこらしてきました」とい一節から始まる台詞がある。私はここから始める台詞群が好きだ。
壁画から始まり、紙とペンで記録してきた時代。手元に物体として残る記録を「情報の個体時代」といいう。そして、映画や歌謡曲といった形で想いを残す形が変化し流れていく。ブログやSNSたちもどんどん短く、速くなっていき、140文字の表現や24時間すれば消えてしまう動画や画像。発信しては次々に流れていく「情報の液体時代」このふたつを重ねて紹介する台詞群は現在の「速さ」に疲れた私にはよく響いた。

早く仕入れた知識は浅くしか定着できなくなっていないか。何かを知りたい時、一度自分の頭で想像することを放棄していないか。今はボタンひとつで世界と繋がれる時代で、目で見ることで体感できる感動も、先に画像検索をかけて調べれてしまうこと。便利ではあるが、豊かさとはなんなのだろうか。ここ数年ずっと胸の奥にいるテーマである。

そんな台詞群を受けて。演劇は情報の何時代なのだろうと。私は戯曲は文字の記録だから個体時代か。なら一回きりの生で上演される本番は液体時代かなと想像する。
舞台は早い時代に取り残されるのではという不安。ただ、この芸能、芸術を守りたい我々と、速く進んでいく若者たちと向き合って。日々消費される情報の中。私は一回きりの舞台たちの中で何を注げるのだろう。

1年間に関われる舞台は少ない。たくさん出れた方が売れている証拠で良いというのも、早い時代が作った幻想だと思う。本当に面白いと思える作品に出続けたい。自分が燃える作品をずっと届けたい。それは最後は自分次第だから苦しい。無理矢理にでも燃えて。果てて。微かな火が消えそうになるを繰り返している。

余儀なくされた冷却期間が間も無く開けた時。
この1年を蓄えた者に次の切符は切られるわけで。
なあ、私よ。どれだけやってこれたかいと。
擦り切れるような。身を焦がすような舞台に身を投げれたのか。
自問しては、まだまだだと。やってやるんだと何度も上を向いては。
現実に食べていく仕事で、毎日普通に怒られたりして、普通くらいのことができない自分に情けなくなったり。演劇を作れてない期間が続くと深く沈む。

毎回、毎回。文章の時間。
提供できる題材は、自身の現状報告くらいになっている。
前向きに。今、目の前にある作品を大切に挑みたい。
この時代に演劇がまだある幸せをいっぱいに持って。
今後も稽古に励もうと思います。

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