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<備忘録>やっと脱皮したわたし
こんにちは。ガーデンプランナーのhacoです。今日は植物の話から離れて備忘録的なことを書いておきたくて。
何事も、あまり悩まない私ですが、ここ1年半ほど詳細は避けますが、ちょっと悩んでいたことがありました。しかし、ようやく1年半の悩みから完全解放!!今日はそのプロセスについて書いてみようと思います。
悩みの解剖
一つの悩みについて、さまざまな方向から見てみる。というのはとても大切なことです。
自分のことで起こっていると考えず、客観的に例えば、友人に起こっていると仮定して、その人にどんなふうにアドバイスするか。とか。
また、その悩みの根本にはなにがあるのか?深掘りしてみる。
その事を感情としてどんなふうに捉えているのか。「悲しい」なのか「寂しい」なのか「悔しい」なのか。どの感情が一番強いのか。とか。
そうやって、何度もその悩みと向き合って、何度も深掘りしてみるのですがうまくいきません。
悩みが長引いてもあまり良くないな。と考えて友人に相談してみても、なんだか腑に落ちません。
人間関係、対人関係の悩みのややこしさ
悩みをどのように捉え、どう解決していくかについては様々な方が書いています。その中でも、まず悩みの根本を捉えるのに、アドラーの言葉を素直に受け止めてみるのもオススメです。
アルフレッド・アドラーの言葉
「すべての悩みは対人関係の悩みである」
そうそう、私の悩みもまさに人間関係、対人関係から生まれたもの。
これからも継続して良好な関係を築いていきたい。しかし、どうしてもこの1点が受け入れ難い。
その1点が受け入れられたらより良い関係が築いていけるけれど、それが解決できなければ私はずーっとこのストレスを抱えていくのか。と思うとちょっと耐えられないな。って思っていたのです。
耐えられないな。と、思えば思うほど苦しく、向き合っては苦しくなり、忘れて向き合えば楽しくもあり、もうこれの繰り返しではいけないと、お手上げ状態でした(笑)
そもそも間違えていた
このように長期間、いろんな角度からその悩みをモミモミとこねくり回していたのですが、実はほんの一つの言葉に出会って、スッキリしちゃいました。
それはこんな言葉です。
「それは、そんなにいけない事なのでしょうか?」
はい。それだけです(笑)
悩みの根本とは
そうそう、たった一つの受け入れ難い。と私が捉えていたことが、そもそも「受け入れ難いこと。」では無かったということに気付いたのです。
私の中で心の半分に「別にそんなにアレルギー反応起こすことではないよ。」という考えもあったのも、余計に悩みを長期化させた理由の一つ。
逆に「完全に受け入れ難い」と思い切れば、こうも悩まずに済んだのです。
悩みの根本的なところを、掘り下げて考えようとすると、どんどん深みにハマってしまうことがあります。
私は勝手に「受け入れ難いことを受け入れなくてはならない」と、一生懸命立ち向かおうとすることがストレスだったんですね。
そんなこともういいじゃない。
受け入れるも受け入れないも、そういうの考えなくていいんだよ。
そう言われて、とーっても楽になりました。
そして、心の半分で「そんなにアレルギー反応起こすことはないよ。」と思っている自分を完全に受け入れてしまって、スッキリしました。
まとめー何が書きたかったかというと
私が、囚われていたのは「普通はこう。」「一般的にはこう。」という考え。それを間に受けてその枠の中で考えをまとめようとしていたこと。
その根拠をネットや本などで拾ってくるから、余計にガチガチの頭になってしまう。
しかしそれは全部、「一般的・普通は」といった思い込みに縛られていただけだったようです。
そんなことで1年半もあーでもない。こーでもない。と思い悩んでいたのだからどうしようもないですね。
それからそれから、その悩みを手放したら、半分あった自分の本来の考え方を完全に肯定できて、とても幸せな気持ちになりました。
気づけてよかった。
本当に、ただそれだけなのですが、また私が「一般的」「普通は」というところに囚われそうになったら、この記事が読めるように書いておきます。
まとまってないこんな文章を読んでくださり、ありがとうございました。
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