近ごろ派遣切りをしている(うそのある生活 24日目)

3月30日 とにかく青い空

近ごろ派遣切りをしている。ばさりばさりと、連日、派遣社員の首を切っている。

派遣切りをしているのは生産が減るからだ。生産しなければ仕事はないし、仕事がないなら売上げもなくなり、だから派遣社員に払うお金だって足りなくなる。昨日は3人の契約終了を通知して、今日はまた5人の契約を解除した。首を切るのに難しいことはない。通知をつくってそれをメールで送付するだけのことで、だから月の中ごろにその通知書のひな型をつくったときには、粛々と解除していこう、と誰かが言った。

人事を長くやっている。だからこういうこともはじめてではなく、むしろ定期的にこういうことが起こる。それはだれかがミスをしたからなのか、もしくはどこかに悪徳な人間がいるのか、それはわからない。僕から見えるのはいつも上から下までそれぞれに右往左往している会社員たちだけで、そこではみんな晴れた日に座り込む山羊のように、いまいち表情のない顔をしている。

夕方、工場建屋に行くと、24時間稼働の工場の照明が落とされていた。うす暗いフロアにはずらりと40台ほどのマシニングセンタが音も立てずに整列していて、そのだれもいないフロアでは、作業長がひとり黙々と動かないマシニングセンタのメンテナンスをしていた。

ぼくはいつでもパソコンに向かいながら首を切ってきた。キーボードの上で指を動かすと、手刀で空気を切るように手ごたえもなく首が落ちていく。それなのに、手には首をばさりと切って落とした感触がたしかに残っている気がするのはどういうわけだろう。うす暗い工場に立って、そこで働いていた彼や彼女の首を手刀でばさりと落とす想像をする。それはほんとうにかんたんに、ぽとりと落ちてしまうけれど、その落ちた首のほうは驚いて、はっとした顔でぼくを見る。その首のないからだのむこうの工場のうす暗闇の奥には、ときには彼の家族がいて、その家族たちだって怯えと驚愕と、それから諦めの顔をこちらに向ける。

そうやってぽとりと落ちてしまった首は、だいたい別のどこかの会社でまた体にくっつくことになっている。ときにはもう二度とくっつかないこともあるのだろうけれど、その人たちのことはこちらではもうぜんぜんわからない。事業場内では椿が咲いて、近頃その花が落ちはじめた。ずいぶん落ちましたね掃除しますか、と庭園管理のおじいさんに聞かれたので、僕は、そのままでいいですまだ落ちますから、と答えておいた。

今日が最終出勤日となった派遣社員がいた。作業服を返却に来たので、事務棟の玄関まで送っていった。玄関を出るところで「ありがとうございました」とこちらが頭を下げると、彼も姿勢を正して「ありがとうございました」と言った。しばらくして頭を上げると、まだ頭を下げている彼の上では、桜が赤と白を混ぜ合わせてめいいっぱいに咲いていた。

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続けざまに夢を見た。電気をつけたまま眠ってしまったせいか、早朝になる少し前に目を覚まし、二度寝をすると今度は寝過ごした。寝過ごしている間には、友人と長話をして徹夜をする夢を見て、起きたあとも眠いような気分が続いた。

その夢の前には、祖母の夢を見た。ばさり、ばさり、という音がするので、あたりを見ると僕は福島の実家のベランダにいて、近くでは祖母が洗濯物を干している。祖母は九十になるあたりから立てなくなったはずだが、夢のことだからか、かくしゃくと立ち、タオルを空中でばさりと力強くふっては、皺を伸ばして洗濯ばさみに挟んでいく。

そうやってばさりばさりとする間にいつか祖母の首が落ちるのだろうな、夢の連想というのはそういうものだから。そんなことをぼんやり思って見ていたが、いつまでたっても祖母の首は落ちなかった。そんなに都合よく単純なものでもないのか。思えば祖母はこれまで一度も勤めたことがないし、だからそもそも首を切られるという心配もないのかもしれない。

ばさり、ばさり、という音が続く。祖母はタオルばかりを干している。なにもない空中を叩くようにして執拗に皺を伸ばしていくが、はたして家にはこんなにタオルがあっただろうか。大小様々、カラフルなタオルが一枚ずつ空中で叩かれ伸ばされていく。いったい何枚あるのさ。そう聞くとあの独特のイントネーションで、知らねぇよぉ、と言う。

「なんでそんなにタオルばっかり干すの?」
「そりゃぁ、これがおらぃの仕事だべぇ」

なるほど、たしかに、これが仕事だ。祖母の奥の空にはまだ桜が咲いていた。今年の桜はいつまでも咲いている。そうして、まだしばらく、僕の首切りは続く。

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