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ハリケーン。幸せ馬鹿と、恋の行方②

続きです。①はこちら。

サルファーに避難して、2日目くらいから、ニューオリンズの被害状況がわかってきた。避難していた家にはテレビがなかったので、隣人の家のリビングルームに上がり込んで、食い入るように、ニュースを見た。

水浸しになったニューオリンズの街。家の屋根にのぼり、救助を待つ市民。物資の供給が遅れ、暴徒化する市民。屋根に大きな穴が空いたアメフトのドーム。

その後、数日間、友人や同僚に電話をかけ、お互いの安否を確認しあった。

避難組の一人が、同僚と電話で話していた。電話越しから、相手の泣きじゃくる声が聞こえた。数ヶ月前に購入した新居が、洪水でながされたとのこと。しかも住宅保険に洪水被害を入れていないので、全ては水の泡に。

私は、当時、携帯電話を持っていなかったので、カルロスの電話を借りて、大学の学部や同級生と連絡を取った。少しづつだが、大学の被害状況もわかってきた。

カルロスと借りていた家の現状は確認できなかったが、Google地図の衛星写真から、洪水被害を受けていることは容易に確認できた。

数日後には、ニューオリンズ全体が、復旧作業のため、数ヶ月間閉鎖されることを知った。そうなると、大学も閉鎖。9月から始まる学期はキャンセル。授業を履修したい学生は、アメリカ国内の他の大学に一時転校することになった。

「これから、どうしよう?」

ニューオリンズに帰れないことは確かだったが、これから何処で何をすればいいのかについては、わからなかった。

避難先の夫妻は、「今後の予定が立つまで、ゆっくりしていきなさい」と言ってくれた。日に日に、避難組の覇気が失われていくのが、よく分かったのだろう。何かにつけて、いろいろ励ましてくれた。

ある日、カルロスを含む、避難組数人とウォルマートへ買い出しへ行った。ニューオリンズを出た時は、「2−3日」の予定だったが、長期戦になるので、物資の補給が必要だった。よく覚えていないが、私は下着とTシャツを数枚買ったと思う。食事も、家主の世話になってばかりはいられないので、自炊をはじめていた。

朝ごはんの材料を揃えていたとき、カルロスがトーストに塗るジャムを選んでいた。

「イチゴジャム。マーマレード。ブルーベリージャム。それと、ピーナッツバターとハチミツ」

と、ジャムの瓶を次々と買い物カゴに放り込んでいった。

それを見ていた、他のメンバーが「え、ちょっと、待って。長くても、あと1週間くらいなのに、そんなにジャム要る?」とすかさず突っ込んだ。

それに対して、カルロスは、なんら悪びれる様子もなく、「え、トースト食べるなら、ジャム、最低4種類くらいないと、寂しいじゃん」と答えた。

数秒の間が開いた後、そこにいた全員が笑い出した。何が面白かったのかはよくわからない。この緊急時に、よくもまぁ、呑気に、ジャムなんかに拘ってられるなぁ、という呆れもあったが、カルロスのしょうもない一言で、それまで張り詰めていたなにかが、プツンと切れたんだと思う。避難生活という非日常で、忘れかけていた、しょうもない日常が神々しく輝いた瞬間だ。

すかさず、カルロスが、にやにやしながら、「somos tontos felices」(俺たち幸せ馬鹿だよな)と言った。このジャムの件があってから、避難生活に、少しの心の余裕ができた、と感じたのは私だけではないだろう。

それから、4−5日後、カルロスと私は、避難後生活の計画を建てた。私は、当時、大学院の2年目が終わったところで、授業を取る必要はなかった。他の大学に一時在籍して、研究を続けることも考えたが、大学でのバイトを見つけることが、容易でないことは分かっていたので、意を決して日本に帰国することにした。カルロスもスペイン語教師をしながら大学院に通っていたが、授業の履修が残っていたので、テキサスの大学に転校するという決意をした。

翌朝、家主に感謝の意を告げ、避難組のメンバーとハグをして、私たちはテキサスへ向かって出発した。私の買った日本行きの便はダラス発なので、とりあえず、ダラスを目指すことにした。ただ、出発して、数分で、カルロスの車がエンジントラブルを起こしたので、ガラージに運んで、修理や何やらしてるうちに、時間が経ち、サルファーを出たのは夕方近かった。

続く




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