見出し画像

やりたい仕事が見つからなければ海外にでもいってみれば?①

何を仕事にして生きていけばいいのか分からない、
何になりたいのか分からない、
人生の進路に悩んだことはないですか?

私も大学を卒業し進路を決めるとき
そんな思いにとらわれていた。
なのでよく分かります。

私の場合は海外に出て環境を変えることで
前に進むことができました。


いわゆるサラリーマン家庭で
郊外の一戸建てで育った私の頭の中に
漠然と存在していた自分の将来は、
大学を出て会社に就職して
定年まで働くという親が歩んだ人生。

そこそこいい大学を出れば
そこそこの規模の会社に就職でき
そこそこの給料が貰える。

学校という集団生活が気に入っていた自分は
戦後日本が大量に排出しようとした会社や
社会の歯車になる人間として順調に仕上げられていたようだ。

なにも目指すもを見つけられず辛い時期だった。

そんな自分にも子供のころから持ち続けたいわゆる「将来の夢」はあった。
それはパイロットを第一希望とする飛行機に関わる仕事。
これ以外の何物にも関わりたいと考えたことはなかった。

大学4年になり「将来の夢」に向かって就活を進めたが
大学卒業のころには視力が低下していて自社養成パイロットは
条件を満たせず全て門前払い。

就活のタイミングと就職氷河期の始まりが重なり
航空会社・航空機整備士・重工系会社で不採用。

この時既に大学4年の夏休みを迎えていて大体の周りの人たちは
卒業後の進路が決まっていた。

就職浪人するという選択は考えず
早く経済的に親から独立したい
自分で稼いだお金で生活をしたい。

自分にあったのは焦りと
小さいころから憧れていた
航空機業界への就職が叶わなかった虚無感だけだった。

続く

人生には不思議なことがおこる
大学生の娘はパイロットへの道に進み始めた
これもアメリカに来たから起こったこと

写真は娘が試験官を乗せてCheck Rideから戻ってきた時のもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?