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やりたい仕事が見つからなければ海外にでもいってみれば?①
何を仕事にして生きていけばいいのか分からない、
何になりたいのか分からない、
人生の進路に悩んだことはないですか?
私も大学を卒業し進路を決めるとき
そんな思いにとらわれていた。
なのでよく分かります。
私の場合は海外に出て環境を変えることで
前に進むことができました。
いわゆるサラリーマン家庭で
郊外の一戸建てで育った私の頭の中に
漠然と存在していた自分の将来は、
大学を出て会社に就職して
定年まで働くという親が歩んだ人生。
![](https://assets.st-note.com/img/1663214678635-p1UJCE5yST.jpg?width=1200)
そこそこいい大学を出れば
そこそこの規模の会社に就職でき
そこそこの給料が貰える。
学校という集団生活が気に入っていた自分は
戦後日本が大量に排出しようとした会社や
社会の歯車になる人間として順調に仕上げられていたようだ。
なにも目指すもを見つけられず辛い時期だった。
そんな自分にも子供のころから持ち続けたいわゆる「将来の夢」はあった。
それはパイロットを第一希望とする飛行機に関わる仕事。
これ以外の何物にも関わりたいと考えたことはなかった。
大学4年になり「将来の夢」に向かって就活を進めたが
大学卒業のころには視力が低下していて自社養成パイロットは
条件を満たせず全て門前払い。
就活のタイミングと就職氷河期の始まりが重なり
航空会社・航空機整備士・重工系会社で不採用。
この時既に大学4年の夏休みを迎えていて大体の周りの人たちは
卒業後の進路が決まっていた。
就職浪人するという選択は考えず
早く経済的に親から独立したい
自分で稼いだお金で生活をしたい。
自分にあったのは焦りと
小さいころから憧れていた
航空機業界への就職が叶わなかった虚無感だけだった。
続く
人生には不思議なことがおこる
大学生の娘はパイロットへの道に進み始めた
これもアメリカに来たから起こったこと
![](https://assets.st-note.com/img/1661822699963-HQkx3BrfJp.jpg?width=1200)
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