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香川県のネット・ゲーム規制条例について

はい!こんばんわー!

はちのへさんです_(┐「ε:)_!

さてさて、LINEニュースなどでも回っていたこの表題。

私だったら絶対反対まじ卍です。

はちのへさんゲキオコでございます_(┐「ε:)_!プンプン

特にラスト付近の一文!

「堂々と、香川県の子供は駄目だと言える」

はぁぁぁぁぁぁぁ!???

プロゲーマーのメルトン(MeLton)さんも、意見を発しています。

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(↑メルトンさん)

以外抜粋

ラジオ番組内で「ゲームをし過ぎて、勉強ができない」という中学3年生からのおたよりに「ゲームは飽きるまで、やりたいだけやるのが大事」と答えた。「そうすればゲーム自体が、誰かの作った箱庭であると気づき、ゲームという“遊びの世界”を理解するようになる」と持論を展開した。

 その上で、今のオンラインゲームについては「開発者がお金を儲けるため、飽きないためにいろいろな仕掛けを追加してきたりするんだけど、そういうこともだんだんと大人になってくると“遊びの世界”だということを理解するし、いずれ何かがわかって飽きる」と、経験を踏まえながら話した。

 メルトン自身も、「心が命じたことには逆らえないし、ゲームをしたいという気持ちに逆らうのは難しいなかで、誰かに規制されるのではなく、自分が突き付けて飽きるほどやりたいだけゲームをすることで、その境地に気付いた」として、「やめる必要はない。やりたいだけやって、そこで気付ければ」

↑まさしくこれな!

確かに幾年前に海外の研究で「ゲームが成績に繋がっている」と公表されて間もありませんし、「ゲーム依存症」も正式に認定されました。

だからと言って「規制」と言われても、大人はある程度理解もできますが今回のターゲットの大部分が「子供」ですよね?

それって内容某あれど、どうしても「抑圧」の影が拭いきれないんですよ。

「規制」は肯定派には聞こえがいいでしょう。

しかし「規制」とは規律を正すものであって、今回の香川県の条例はそれから少し外れているんじゃないかと……。

この法案を推している人達の中にも、子供の時分に友達と遊んだり楽しみにしていたものがあったはずです。(全員とは言いませんが。。。。)

子供にとって今の「ゲーム」という存在は必須のコミュニティツールにもなってきていますし、ゲームの内容も単純ながら興味を惹かれるものが多く輩出されています。

一例としてswitchにある「マインクラフト」



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独特のブロックで出来上がった世界を探索・分解・構築することで範囲想像力の向上、計算。

家畜を育てる要素から、需要と供給。

裁縫・製造から物の素材への興味。

「いやいや、本物はそんな単純じゃないからwww」

↑そんなことは重々承知ですが、最初に興味を持つキッカケなんてどこでもいいんですよ。そこから知識欲を回転させて調べものをしたり、自分の将来像を妄想したり出来るようになればそれでいいんです。

そして、それらのモチベーションを上げるのに必要なのは「楽しい」ということ。難しいとか、キツイってのはそれらを学んでいる最中に障害を迎えたときです。

そして、その障害を乗り越えられると達成感が生まれます。

ゲームにはそんな素晴らしい要素が詰まっているのに「規制」とは如何なものか。

「子供は外で遊ぶべき」「弱くなる」「引き籠る」「人間性が薄い」

そんなのはゲームという物質じゃなくそれを見て「抑圧」しようとする、古ぼけた大人の「お堅い考え」でしかありません。

ゲームは子供たちにとって「楽しい・好き・もっと欲しい」と欲が必ず絡みますし、親御さんは協議した上で買い与えていませんか?

それに規制を掛けて半ば強引に取り上げるのは「規制」ではなく「抑圧」です。

条例内容を私も少なからず拝見しましたし、理解が達していない部分もあるでしょう。

夜更かし、勉学が怠慢傾向になる、外に出ない。

確かにこれらだけを見れば、いいことではありません。それは私も十分に理解しています。

結局言いたいのは「ずっとゲーム」をしているという状態を改善したいのですよね?

では、その環境を打破するために何をしましたか?明確にそれを打ち出し実行できていますか?

もし、それが出来ているならば今回の規制に異を唱える人だと思います。

それすら整備していないのに状況によって、自分の尺度でゲームを与える時間があったりしていませんか?

「買い物に行くけど、親だけで足りるからゲームをさせて留守番しててもらおう」

「遠出するから車の中で暇になっちゃうし、目的地に着くまでゲームをさせておこう」

「映画・ドラマを見たいけど子供がいると集中できないからゲームして静かにしててもらおう」

今回の規制へのパブリックコメントを挙げた人たちの中に上記のようなことをさせた経験がある、そしてゲーム機を所有している家庭の人がいるならばそれは間違いなく「抑圧」です。

結局、自分の用を足すためにゲームを与える時間があって、それ以外の時間にやられていると気に食わないから規制に賛成。

そんなふうにしか私には思えません。

しっかり規制と謳うならば、それが実行できる環境を整備してからじゃないでしょうか?

仕事でもビルの建設作業などで、「命綱ないけど、今日は高所作業なー」

って、言うようなもんです。有り得ませんよね?

ラーメンを注文してスープの冷たいラーメンが出てきたとしましょう。文句をいいますよね?しかし、そこで店の主に「光熱費かかるから最初に熱入れてその後は切ってるんだよね」(←自分の都合)「へい、お待ちぃ!」

納得できますか?無理でしょう。

例が極端ですが、そういうことを実行しようとしてるのではないでしょうか?

そして、この規則には「罰則(ペナルティ)」はありません。なぜですか?

努力義務だからですよね?

ぶっちゃけ「じゃあいらないよね」ってすら私は思います。

「規制」を引くならば逸脱した際の「罰則」は必要なのではないでしょうか?

道路で交通規制が入ってたとして、例外を除けばそれに準じているはずなのに、身内の事・子供の「教育」とかの方面の話になると何故いきなり「そうそう!そうだよね!!」って勝手な解釈をぶつけてくるのでしょうか?

私にも2人の子供がいますし、上の子(小学5年生)はswitchのドはまり中です。

確かに、没頭しすぎて寝る時間が遅くなったり、周りが見えなくなったりする時が度々ありますが、私はそれに関して一度も言及をした記憶はありません。

「なぜ今あれだけ集中しているのに、それを取り上げなければならないのか?」といった感情があるからです。

先ほどのマインクラフトの効果を推すつもりはありませんが、いつだか「牛は小麦で育つの?」と聞かれたことがあります。(作中、牛を繁殖させるために小麦を一定数使用し子牛を増やせるというアクションあり)

「別に小麦だけってわけではないけど、ゲームでは全部用意できなかったんだろうねー」と返しました。

そしたら後日switchを使ってYouTubeを見ていたようで検索ワードが「牛 食べ物 何」と調べているのを見たことがあります。

勿論表示されるのは専門的な動画ばかりで息子は「????」となっていましたが、私はそれで充分感慨深い気持ちになれましたし「やはりゲームっていいな」と「今で興味など向けることもなかった事に、こうも簡単に興味を向けてくれるのか」と嬉しくなりました。

所詮はちのへさんがグダグダ騒いだって毛ほども効力はありませんが、どうせ効力が無いのだから好き勝手言わせてもらいますよ。

「規制」で惑わされて「抑圧」を掛ける大人は全て「悪人」としてしか私は見れません。

律するのであれば、それ相応の環境整備と本元が定める「罰則」も併せて初めて「規制」です。

履き違えないようにしましょう。

私が子供に唯一口酸っぱく言うのは「好きこそものの上手なれ!」

ただこの一点です。

確かにそういっても子供などの興味はすぐに違うものに転換していくので、中々結果に繋がることはないでしょう。

だからこそ、そこに知識のある大人が介入してWIN-WINの関係を作れるように環境を整備し「規制」(律して)行くのが大切なんじゃないでしょうか?

何もない。興味がない。信用がない。それには誰もついてこない。

以上です。

感情的に書き殴らせて頂きました。

色々と協議したい方もいますでしょうが、これが私の考えであり「価値観」です。


それでは次の記事でまたお会いしましょー!

_(┐「ε:)_サラダバー!

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いつもはゲーム記事が大半ですが、リアルでの知識を生かして新成人や新社会人さんへの教育を促すような記事を書きたいと思っています!おじさん頑張る!