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「引越し」けっち

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Photo by HiveBoxx on Unsplash

先日、うちのアパートの向かいに新築の一軒家が建ちまして、それまで入ったり出たりしていた工事や内装業者が撤収した翌日あたりに新居の入居者が引っ越してきました。その引越しもかなり慌ただしかったようで、家のまわりにスケボーや自転車や引越しで出たゴミが積み重ねられていてお世辞にもきれいとは言えません。新居の車は二台あって、一台はベンツ、もう一台は、普通のセダンなのですが、ガレージがギリギリのスペースなのもあって、せっかくのベンツもとても窮屈に止められています。

……こうやって書くと、僕がその引越してきたばかりの住人のあら探しをしているかのようですが、なぜでしょうか、実際にこの引っ越してきた向かいの住人と、その建てられたばかりの新居には、理由もはっきりしないイラダチにちかい感情がどこかにあります。

それはたぶん、この新居がそもそも建てられるための旧邸宅のとりこわし、更地の不動産看板、そして新居の着工から完成の全部をみてきたからかもしれません。その工事は外国人労働者中心で行われ、連日夜にまで及ぶ工事の騒音に悩まされ、砂ぼこりがうちの車を砂まみれにしてきました。

工事会社の関係もあるのかもしれませんが、僕には旧邸宅の解体から、一連の流れのあちこちが雑に行われた印象で、建ったばかりの新しい家も、いざ家を建てはじめると、プラモデルを組み立てる要領で数日もたたないうちに組み立てられ、そのデザインもどこか無機質でまったく魅力を感じられませんでした。

引越しというと、これまでたくさん引越しをしてきた自分としては、引越しをする側の思い出みたいなものがわりとたくさんあるのですが、引越されてきた隣人の側として「引越し」を意識することはこれまでなかったように思います。

今回、一軒の家が取り壊され、売りにだされ、それが更地にされて、穴を掘って、家を建てていくまでの一連の流れをずっとベランダからみてきて、そのすべての雑のながれの延長で、やってきた入居者がガレージにゴミの山を積み上げっぱなしにしているのをみて、引越しに持っていた期待や希望というのも、周りからみたらこんなふうに幻滅してみえることがあるのか、と思いました。いやはや、うまくいえませんが雑に生きたくないものです。


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