見出し画像

「コメダ珈琲」 けっち

画像1


先日ラジオを聴いていました。「和牛のモーモーラジオ」というラジオで、漫才師・和牛の2人がリスナーの相談にのるコーナーだったのですが、その質問内容が

<ある男性から文通しようといわれていて、その人は仕事の関係でLINEやメールはつかえないから文通なのだという。けれども文通は住所を教えないといけないし、あまりしたくない。相手を傷つけないようにどうやって返事すればいいか>

という内容でした。その話を聞いていて、結論としては「仕事でLINEは使えなくても、文通の手紙を書く時間があれば、LINEくらいできるんじゃないの? つまり彼は文通という手段で攻めようとしてるんやな」「これは文通かLINEかの問題ではなく、質問者の女性にとって彼が好きかどうかの問題やな」「傷つけないように断ることは無理。断ったらどうしたって相手は傷つく」という流れで、聴いていた僕もなるほどなー、うんうん、と同感でした。

この時代に女性に「文通しよう」って珍しいですよね。そしてそれが断られる/気味悪くおもわれる、のも納得です。個人情報がこんなに重要視されている時代において、文通って、相手の住所も筆跡やサインまで丸わかりなうえに、時間もかかって、さらに切手代までかかる。

一昔前までは電話するのも、手紙をおくるのも、それはお金がかかって当然だ、と思っていたけど、今は電話も、テレビ電話でさえも、タダ(もしくはかぎりなくタダ)で、送るのにかかる時間は光と同じくらい速いものと決まってる。こんな時代に、なぜわざわざ文通なのか、と一般的な反応として当然だと思いました。

でも、この感覚がすでに当たり前になってくると、次に想像できるのは「コーヒーを一緒に外でのむことへの違和感」がでてくるのではないでしょうか。これをお読みになっている方は「え? スタバとか普通にいくし、それがなくなるなんて考えられない」と思うかもしれません。もちろん僕も喫茶店大好きです。

でも、リモート飲み会が結構突然、一気に普及してしまった。もともとコーヒーというのは、家で自分でいれたら一杯10円(インスタントなら可能)くらいでいれられます。どうして50倍ちかい値段をだして外で飲むの? という疑問がでる可能性もある。

だって文通が「不審」がられるようになってしまった時代なのです。文通したい、と言うと、なぜお金も時間もかかって、個人情報丸わかりの文通なの? と問われる時代。その次にやってくるのは「なぜ濃厚接触しながら外でコーヒーに何十倍もお金をはらうの?」の可能性がかなり高い。

だけど、そうなってしまったらとても寂しいですね。

コメダ珈琲。僕は外でコーヒーをのむとき、1人でいくなら間違いなくスターバックスにしますが、ゆっくり2人で話したいときはダントツでコメダに行きたいです。かつて珈琲専門店で一日中焙煎機をまわしているサイフォン専門店で働いている自分としては、よほど美味しい珈琲を飲ませてくれる店でないかぎり、あまり珈琲専門店に行くことは少ないです。ちょっと落ち着かないからです。

珈琲の「質」を求めるというより、コーヒーを片手に落ち着いて話をする場所としてのコメダ珈琲は最高です。店内が木造建築の支店が多いですよね。豆菓子をくれたり、オシボリがいまでもあったり、お水を定期的についでくれたりするところもいい。お腹がすいたら巨大なハンバーガーや美味しいサンドイッチもある。

こういった外で会うこともいつか「ムダ」「危険」になるのだとしたら、文通という文化の衰退同様になにか大事なことを失くしてしまうのかもしれません。僕も納得してしまったひとりだけど、そう思うとまた文通。手紙を直筆でかく、というのもやりたいですね。そういえば喫茶店で手紙をかく、というのもいいものでした。今日もありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?