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「しゃぶしゃぶ」けっち

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Photo by USGS on Unsplash

子供のころ、まだ性のイロハもおぼつかないころに「ノーパンしゃぶしゃぶ」というのが世間の話題になったことがありました。今ならインターネットがありふれているので、いたるところにアダルト用語が氾濫していて、それはそれで困った時代なのですが、その一方で大人も子供もどこか氾濫する下品な用語に耐性がついているようにもおもいます。

ところが「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉が、インターネットが存在しない時代にいっせいに世の中のニュースなどで放送されたとき、その下品さは度をすぎていたというか、そのせいで僕にとって「しゃぶしゃぶ」というのは、なんとなく

オゲレツなのではないか

という先入観がうえつけられてしまって、それはどういうわけか今になっても消えさってないのです。もちろん頭ではわかっています。しゃぶしゃぶとはとても美味い肉の食べ方です。でも、それでも少年の時代に身体にしみこんだ「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉の組合せの破壊力がその後の人生にまで影響している。

それで「しゃぶしゃぶ」は好きなのですが、なぜか「じゃあしゃぶしゃぶ!」と口にでてこない。それはなぜかというと、外国産はべつにして和牛はいまでも高級です。いや、むしろ安い外国産の肉がたくさん流通すればするほど、和牛の値段はあがっているのではないでしょうか。

和牛をたべよう、ごちそうをたべよう

そんな気持ちになったとき、今は「すき焼き」「焼肉」のふたつがパッと頭にうかびます。本当なら「すきやき」「しゃぶしゃぶ」が先にきて、そのあと焼肉がうかんできそうなものですが、「しゃぶしゃぶ」というのは先ほど書いたように、体内に残る「ノーパンしゃぶしゃぶ」の響きのせいで、イメージの高級感が下がってしまっているんです。

一体これは誰に責任をとってもらえばいいのでしょうか。といいつつ、僕が期待していないところでいきなり和牛のしゃぶしゃぶが夕飯にでてくると、ひさしぶりに食べるしゃぶしゃぶ和牛の美味さといったら、表現できないくらいおいしいので、いい加減に少年時代に感じた言葉のいやらしさから脱却した「新しいしゃぶしゃぶのイメージ」を身体に刻みつけてもっとしゃぶしゃぶを食べる人生を歩みたいと最近思う次第です。


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