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10年以上勤めた教師を辞めた理由

こんばんは。今日もお疲れさまです。

このnoteは、私がコーチングに出会い、「7つの習慣」によって変化していく話を書こうと思って始めたのですが、コーチングとの出会いを書く上で飛ばせない話が、今日のタイトル「私が10年以上勤めた教師を辞めた理由
です。

そもそも、教員を辞めていなければ、コーチングとは出会わなかったかもしれませんし、コーチングに出会わなければ、今大変お世話になっている方々とも会えなかったので、本当に辞めたことに一切の悔い無しです。

コーチング仲間も「7つの習慣」仲間も、みなさん本当に素敵な人ばかりで、多くの出会いに感謝しています。

もちろん教員を辞めなければ出会うことになっていた素敵な人間関係もあったかもしれませんが、今となってはそれはわかりません。

10年以上、中学校で英語教員として勤めてきた私です。

担任業務も、生徒指導も、生徒会活動も、行事も、新採指導も、教育実習生指導も、もちろん授業も、それなりに一生懸命にやってきました。

10年も経てば、「中堅」と呼ばれる立場。20代の頃は、自分のこと、自分のクラス、自分の授業のことだけを考えて努めればよかったものが、「中堅」にもなると、学校全体を見て、学年や学校のために動かなければならなくなります。

同期のみんなが産休・育休をとって、2-5年お休みをとっている間、私は長期で休むこともなく、辞める34歳まで風邪もひかず、体調管理もしっかりとして毎日学校にいっていました。

年休(有給)もほぼ使わず、頑張り過ぎてしまいました。

11年目の夏休みまで、いつものように働きづめの毎日で、その年は一段と仕事量も多く、授業時数も多く、問題児が多く…とにかく、いっぱいいっぱいの毎日を過ごしていました。

毎日大きなストレスを感じながらも、朝6:40には学校に行き、どれだけ疲れていても、笑顔で生徒に対応していました。

いつも、元気で明るい「先生」を演じていました。

演じている分、学校の外では、ドッと疲労感が襲ってきて、車の中で涙が止まらないときもありました。

ストレス発散のためにお酒の量も増えました。お酒の量が増えたので、眠りが浅くなり、翌日は「山登りの後」のような疲労感で毎日を迎えていました。

私がこんなにも精神的にボロボロだったことを、同僚の誰もが知らなかったと思います。それくらい私は、学校では生徒の前でも同僚の前でも「元気で明るい前向きな」先生を演じていました。

しばらくして、私は壊れました。学校に行けなくなりました。

風邪でも学校を休まず、たくさんある仕事をこなして、保護者対応を誠心誠意して、生徒と正面からぶつかってきた、責任感の塊だった私が、すべての責任を放棄しました。

そうするしかなかったのです。

辛くて辛くて、そんな弱い自分を受け入れることに、だいぶ時間がかかりました。

こんなはずじゃなかった、私はこんなに弱くない、そんな風に学校を休み始めた後は何度も何度も思いました。

他の理由もあり、「いつかは辞める」と思っていた教員という仕事ですが、体も心も壊して初めて、ゆっくりと自分と向き合う時間ができました。

「向き合う」なんて前向きな感情は、今だからこそ言えますが、当時はそんなふうには思えませんでしたが…

そんな、自分と向き合おうとしたときに、出会ったのが「コーチング」です。

きっと一人で考えていたら、ぐるぐるぐるぐる、いろいろな感情が湧いてきて、「公務員」という立場を退くことができなかったと思います。

自分にとっての人生の転機に、私は「コーチング」と出会いました。

そして、自分自身が「コーチング」によって、自分の気持ちを向き合えたので、私と同じような先生方の手助けをしようと、私自身が「ライフコーチ」を学び、コーチとなりました。




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