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トラウマの振り子が右に振れるか、左に振れるか

私が7年ほど前に入院していた精神科病院で、隣のベットに10歳の女の子が入院していた。入院の経緯は、機能不全家庭から児童相談所を経由しての保護だとその子が言っていた。10歳の女の子が隣のベットで、児童相談所の様子を無邪気に話たり、看護師や保護された先の児童養護施設の職員が丁寧にその女の子に寄り添って支援する現場の真横で見ながら私は数日過ごしたのである。

7年前の主治医である児童精神科医は、児童虐待を専門にしていた。しかし、臨床経験があるのは子どもだけで、大人の虐待の後遺症にはかなり無知な医者だった。このため、私の虐待の後遺症をあまり理解してもらえていなかった。当然、看護師など病院スタッフは私を虐待の被害者だという認識は一切なかった。そのため無配慮にも10歳の被虐待児の隣のベットに入院というシチュエーションを作りだし、今の子ども達と児童虐待防止法(2000年制定)すらなく「支援ゼロ」で大人になった私との支援の格差を目の当たりにされたことがある。
 
私のインナーチャイルド(子ども人格)は声にならない声で、心の中で「わたしも同じように支援してほしい!」と叫び続けていた。でも、姿が大人の私にはそれが実際の声にはならなかった。
精神科医療スタッフには、患者の姿かたちしか目に見えないのだとその当時は無理解な医療スタッフに不満を持っていた。目に見えない心の傷を見るはずの仕事である彼らには、心の傷も見えなければ、人を子どもか大人という、姿でしか判断できないということが、とても辛かった。
 
退院後、私は入院時のインナーチャイルドの悪化を引きずった。ある日、解離を起こした。その女の子と同じように、児童相談所に保護されたいと思った。でも、大人の自分は当然、今更、児童相談所が相手にしてくれるはずなどない。気が付いたら、警察署にいた。「死にたい」といい、手には刃物を持っていた。保護という形で警察に確保され、そのまま精神科の閉鎖病棟に医療保護入院となった。

この話をすると、今までよく心無い無理解な言葉を言われた。その内容とは『子ども時代に虐待された人でも、大人になって子どもの支援をする素晴らしい人格の人はいる』という言葉だ。今の子どもに嫉妬するなんて、私の人格が低いと言われたようで、ひどく傷ついた。ちなみに、私は子どもが好きである。子どもたちと遊ぶこともわりと得意だし、子どもたちは可愛いと思える。しかし、そのことと、私自身が子ども時代に虐待を受けて大人になった今でもインナーチャイルドがまだ傷ついていることとは別物なのだ。
私だけでなく、児童養護施設の職員や心理職で働く専門職でも、子ども時代に虐待被害の体験のある人の話を聞くと、大きく2つに傾向が分かれる。

1つは、今の子どもたちを支援することで、自分自身の心の傷が癒され、その人自身のインナーチャイルドが癒されていく人。
もう1つは、今の被虐待児に関わることで、自分自身のインナーチャイルドがSOSを発し、フラッシュバックや子ども人格の悲鳴に苦しむ人である。

後者は当然、子どもの支援は続かず、職を辞していく。

私が伝えたいことは、虐待のトラウマを抱えた大人が、今の被虐待児と接したときに起こすトラウマ反応は、振り子が右に振れるか、左に振れるか、の違いだけで、その方の人格の問題ではない、ということだ。
ここを理解していないプロの支援者は、虐待サバイバーの大人で、陰性逆転移を起こしただけの人を大人げない、幼稚だと非難し、深い心の傷を負わせる二次被害を起こしている。
トラウマ反応の振り子が右に振れるか、左に振れるか、その違いに人格は関係ないことを知ってほしい。

虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!