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人間の医者より、自然の方が優しい

今日、春の花たちをゆっくり眺め、写真を撮りました。春の風に揺れている花たちを観るだけで、心が豊かになりますね。それだけ、自然は言葉をもたなくても優しさを人間に伝えられる。人間より、野の花たちの方が、素晴らしいのです。

北国の春はあまりに美しいです。沢山の野の花たちが雪解けと共に咲き始めます。北国は、半年を暗い冬に閉ざされていますから、春のスプリング・エフェメラルたち(春から夏の花たち)は、より一層、美しく見えます。
1年中、春だったら、北国の人々は、花をそれほど美しいと感動しないでしょう。

季節の移り変わりは、人生によく似ています。長く暗い冬も必ず終わりがきて春がやってくるように、人生の辛い時期も永遠には続かないということを自然が教えてくれます。

雪解けと共に、フクジュソウ(福寿草)やフキノトウが土の中から顔を出し、ゆっくりと、北の広大な大地を、灰色の冬景色から、多様な色彩で輝く世界へと染めていきます。
それを観るだけで、心が幸せに満たされます。

フクジュソウ(福寿草)

千昌夫さんの「北国の春」という歌にも出てきますが、これから北海道は、カラマツの芽が吹き、美しい新緑の季節になります。今は、コブシが蕾を付け始めています。

キタコブシ(モクレン)

私は、コブシは、開花した花より、つぼみが好きです。北海道はこの時期、キタコブシのつぼみをあちこちで観ることができます。私が大好きな季節が今です。人間の医者は大嫌い。自然の方が人間の<善も悪>も、すべてを包み込んでくれるし、ずっと優しさが深い。

キタコブシの蕾(モクレン)

物言わぬだけで、遥かに長い年月を生き、同じ場所に佇んで、静かに世界を観ている植物たちの方が、人間なんかより、遥かに高度な智慧を持っているかもしれません。ただ人間には、植物たちの声が聴こえないだけなのかも。聴こえたらいいなぁ。人間の声など、もう聴きたくないよ。

ヒマラヤユキノシタ

私は何十年と、「当たり前の社会」というフレーム内のマジョリティたちに合わせないといけないという自責の念がありました。誰にも迷惑をかけていなくても、フレーム内のマジョリティたちは、フレーム外に居るというだけで、私を責め立て、虐める人間もたくさんいました。

だから、フレーム外に居るだけで、自分が悪いと思ってきたし、フレーム内のマジョリティたちに合わせようと、何十年と、必死で頑張ってきた。
だけどフレーム内のマジョリティたちは、あまりに非道いじゃないか、と最近、と改めて気が付き、虐待サバイバーが無理して合わせる必要性はないと考えてます。フレームの外に居ていいんだよ。

レンギョウが満開!中国原産で、江戸時代に渡来し、漢方としても用いられる

マスクを無理矢理、外せとは言いません。ただ、春のやわらかな風が運んでくれる花たちの香りや、人間の本来の感受性を取り戻してくれる良い情報を風は運んでくれています。それまでマスクで遮断してしまうのは勿体ないですよ。(花粉症でマスクは仕方がないです)

ムスカリ

以下の花の名前を教えてください。なぜか、毎年、観ていても、すぐに種名を覚えられる植物と、何回、教わっても種名を覚えられない植物があります。
植物も、きっとその人との「相性」があるのでしょうね。私は美しくても、心が感動しない植物の種名が覚えにくいです。

ヒアシンス??

クロッカス。これは園芸種。いつか、野生のワイルドクロッカスを観てみたい!
春にしか出合えない野の花たちは、人間の一生がいかに短いかを、そっと教えてくれます。例えば、あと20年生きたとしたら、たったの20回しか出合えないのです。

クロッカス
クロッカスが咲き乱れる

エゾムラサキツツジが咲きだしています。子供時代、ツツジは、蜜を吸った気がします。 毒性があるらしく、大量に吸うのは注意。毒性がある身近な植物は、意外と多いです。口に入れる場合は、調べてからにしましょうね。

エゾムラサキツツジ

シャーマニズムに興味があり調べています。シャーマンは、人類初の精神科医ではないだろうか? 精神科が、精「心」科ではなく、「神」 という文字を使う由来は、シャーマンからきているのではないか?と(個人的な推察です)。 まぁ、人間の医者は「神」も「心」もない人が多くて、非道いですけどね。
「医は仁術なり」(『養生訓』1712年・貝原益軒)と言いますが、少なくとも、仁愛なんてものは、今の日本の医者の多くに無いよ。300年以上前の江戸時代の医者たちには在ったのだろうか?

スイセン

北海道はツクシが山ほど生えます。乾燥地帯だからかなぁ?。だけど北海道の人は、ツクシを山菜として食べる文化がありません。他に美味しい山菜がたくさん採れるからでしょうか?
梅の花も、今時期に咲いています。本州と2ヶ月、ズレていますね。
小さな島国の日本列島は、わずかに南北という地理的な違いがあるだけで、同じ種であっても、これだけ多様性があります。人間の医者より、自然の声を聴いた方が、この世界の「本質」を教われるのです。

梅の花

ビオラが咲きました! この花は、妖精が居そう!
自然は私たちを支配していません。一部の人間ごときに、私たちの意識までは支配されません。人間がどれだけ絶望しても、世界は美しいです。
物言わぬ植物や自然の声を聴きましょう。「目に見えないもの」を見ましょう。時代はパラダイムシフトを起こしました。

ビオラ

ワスレナグサは、英名で forget me not ! (ぼくを忘れないで!)と言います。 昔、アラスカで恋人の男性が川に落ちて亡くなる寸前に、恋人の女性に投げて渡した花がワスレナグサだったそうです。その後、ワスレナグサは、アラスカの州の花に指定されました。
注意して歩かないと見落としてしまうようなこの小さくて可憐な花が、北海道の厳しい自然の中で、片隅でも立派に咲いているということ。私がこの花に涙が出るほど感動し、魅かれるのは、あまりに片隅に咲いていて、発見が難しいから。
そこから人間は、何を読み取ることができるでしょうか?

ワスレナグサ

もう、心ない医者、傷付けても無自覚で鈍感な人間とは関わらない方がいい。私はもう、鳥居をくぐることにしました。俗世から忘れ去られ、もう誰も参拝しない「朽ち果てた鳥居」をくぐる。

現世。さようなら。

39年生きてきて、あまりに傷付けられることばかりだった。それを何十年と耐えてきた。
「加害者は、どちらなのか?」と言いたいけれど、言っても、フレーム内のマジョリティたちには、何も理解できないのである。だって、これは感受性の問題だからである。

本当は、フレームなんて無くて、マジョリティたちの脳の中で作りだしている虚構なのだ。

マジョリティたちへ。
「額縁を外して絵を見てごらん?」
この世界には、実は、フレームなんて無くて、世界は広大無辺であることが見えるのに…。

朽ち果てた鳥居

来し方行く先
医師や看護師、医療者たちに「感受性」が無い人があまりに多く、「深い心の傷」を抱えた患者は二次被害に遭い、さらにPTSDを増やしていくという実態があまりに多すぎます.... 。
医療者は、クライエントの本気のSOSすら、感度が鈍すぎて、全く気が付かないことが多々あります。
だからね。
もう、<虐待の後遺症>などPTSD関連の病は、日本の医療や福祉ではないのですよ。解決策は別の所にあることに私は直感的に気が付いてしまったのです。
ある方に「羽馬さんは、現代社会のシャーマンですよ。名前がそれを示しています。羽(天を翔る者)、馬(地を駆ける者)で、天地のメッセージを受け取る者です。それが疲弊した現代社会に、千恵(多くの癒しの恵み)をもたらす」と。この言葉がきっかけとなったわけではないのですが、私自身が児童虐待に遭い、成人後も20年近く「虐待の後遺症」に地獄のように苦しんできたこと。その中で、無理解から幾度も医療者や社会から、二次被害に遭い傷ついてきたこと。
そして、それをメッセンジャーとして社会に伝えられる機会を頂いたこと。私には、その役目が宿命的にあるのでは?と思ってきました。
ちなみに私は大学院まで理系の人間だし、これまで宗教や精霊信仰をしたことはないです。これは現代の科学では証明できない話です。だから医者の大半にはおそらく一笑に付されるでしょうね。
医者は「目に見える」ワクチン薬害をやっていればいいのです。
最先端のようで、実は、相当に、時代遅れ。「目に見えるもの」しか解らない現代社会の欠陥を1番、象徴しているのが、ワクチン薬害で徒党を組んでいる医者たちです。
現代社会が長く否定してきたものの中に、「心の傷を癒す答え」や、「人間の闇の扱い方」の答えがきっとある気がします。現代人が効率と引き換えに失ったものは、ものすごく大きいです。それを取り戻せたら、人類は多くの人が救われる気がしています。
「病跡学」という学問が精神医学で生まれた理由も何となく解る気がしています。あまり発展していない学問のようですけど。
精神疾患がなぜ人類の長い歴史の中で、淘汰されずに現代まで残っているのか?。それは、精神疾患が人類に有益性をもたらす意義が必ずあるのだと私は思います(現代人は、精神疾患など大迷惑としか認識しませんけれど….)。
立派な神社は日本にたくさんあるけど、現代人が手入れし、多くの現代人が参拝する神社には、もう神様は居ないですよ。直観的にそう感じます。神社は神様に感謝をするところだけど、現代人は、自分の願望や欲をもってきますからね….。だから、現代人に呆れて居ないか、もう力は無いと感じています。
俗世から忘れ去られ、もう誰も参拝しない「朽ち果てた鳥居」。こちらに居ると感じています。過去の本物のシャーマンたちの息吹も、まだ残っているような気がするのです。
病も自然災害も、神様に似ていると私は思います。だけど、人間の闇だけは、忌み嫌い、排除するって、おかしくない?
ここに現代社会の1番の欠陥がある気がするのです。病も自然災害も、人間には大迷惑だけど、有益な意義がちゃんとありますからね。
私は、現代人が否定し、失ってきた世界の扉を開ける
解離があるせいなのか、私は幽体離脱(体外離脱)できます。わずか2500年前の私たちの祖先である縄文人がおそらく持っていた「闇の扱い方」という智慧を持ち帰れたらいいなぁと。
現世。さようなら。
魂が帰還できたら、また逢えるかもしれませんね。

以下の記事も合わせてお読みください。

虐待の後遺症の典型的な症例は、以下にまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。


虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!