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「自分のせいで誰かを傷つけたかも…」の不安がちょっと軽くなった言葉。

私はいつもおびえている。

「私が言ったことで誰かをものすごく傷つけてしまったんじゃないか」

「あのときのひと言が、誰かを今も苦しめているんじゃないか」

誰かと長時間話したあとの帰り道は、いつも脳内大反省会を繰り広げるし、もう何年も前のことを急に記憶から引っ張り出しては「あれ余計だったなあ…」なんてもうどうにもならない後悔にさいなまれたりする。


しんどいんだよなあ、これ。頭の中でぐるぐる、ぐるぐる、ずーっとぐるぐる。



今年、ある先輩と話しているときに、良かれと思って言ってしまったことを、あとになって「あれは言うべきではなかった」と気づいたことがあった。(先輩が傷ついたかどうかはわからない)


言ったとき、悪気はまったくなかった。なんなら、先輩を励ましたくて言ったことだった。だけど、なんてことを言ってしまったんだろうと、わたしは眠れなくなった。



二日間悩んで、夫に相談することにした。話をひと通り聞いてもらった。そのあとで、夫は私にこう言った。



まぁ、その先輩にとっては、望月との会話なんて、毎日の生活の中のほんま小さいことに過ぎないけどな。その先輩だって、毎日何人かと話するし、望月より大事な人がいっぱいいるわけだから。いろんな人から嬉しい言葉だってたくさんもらってるわけだから。

正直、望月のひと言なんて、その先輩にとっては、どうでもいいと思うけどな。

望月はいつも、『自分が相手にとって影響力がある』って勘違いし過ぎ。」


わたしは、こう言われたことで、冷静になった。たしかに、自意識過剰だったかもしれない。先輩と後輩という関係でしかない相手が、私のこと、私に言われたことを毎日ずっと考えているわけがないのに。(もちろん、どう考えても相手を深く傷つけてしまう言葉とか、暴言のようなことを言ってしまったときは別だと思うけど)


夫はこう続けた。
「それでも、望月の気がすまないなら、ごめんなさいって正直に言ってみたらいいよ。まぁ相手はさほど気にしてないだろうけど。言うのが難しければ、手紙を書いてみるとか。その手紙はすぐに渡さなくてもいい。いったん今の気持ちを書き出してみるのが大事。」

傷つけてしまったと思うなら、ちゃんと「ごめんなさい」って言えばいい。

そっか、そうだよね。一度でも間違ったらもうだめだって思ってしまってた。そんなはずないよね。

誰だって間違える。
間違えたって、取り戻せる。


そんなことに気づかせてくれた夫の言葉だった。


その日から、「誰かを傷つけてしまったかも」と考えたときは、こう考えるようにした。


(過去のことの場合)
私の言うことなんて、そんなにみんな気にしてない。たくさん話す中のたった一人だから。気にしない。

(最近のことの場合)
謝れるようならすぐ謝ろう。謝れない場合も、自分のことなんてみんなさほど気にしてないって割り切ろう。


自意識過剰はやめつつ、相手のことを思いやった言葉を使っていきたい。


おわり

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