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なりふりかまわずに生きてやろうと思う。
あまり夏の思い出らしい思い出は作れないまま、今年の夏は終わるかもしれないなあと、今日ふと思った。花火大会にも行っていないし、海水浴もバーベキューもしていない。家庭の事情でなかなか動けなかったのもあるし、不妊治療をがんばっていて気持ちと体力が夏に追いつかなかったのが大きい。
でもその分、今年の夏はたくさん言葉と向き合った。書いて、消して、書いて、書いて。こんな夏は今までになかったかもしれないと思うくらい、言葉にできないままで積もっていた気持ちに、ひとつひとつ言葉を与えていった。作品という形にもできた。
人に自慢できるような、わたしも夏してるよとSNSにアップできるような夏ではないかもしれないけれど。それのどこがたのしいの?って思われてしまうような夏だったかもしれないけれど。でも実際やってみると、これがわたしの今いちばんしたかったことだったような気もする。
ずっと、人の目や評価を気にして生きてきて、それは余暇の過ごし方さえそうだった。休日なにしてたのって聞かれて家でいろいろと…と答えるよりは、キャンプに行ってきましたとか、旅行してきましたこれお土産です!と言える方がイケてるって思ってた(イケてたかった)。人に見せる価値のある写真を必死で撮ろうとしたし、いつも充実してたのしそうにしている人に見られたかった。
でもそういうの、どうでもいいなと思うようになってきた。やっとかい!って感じだけど。やっとだ。
今までずっと、見通しのいい道のど真ん中をまっすぐに生きてきたつもりだったのに、気づいたらもつれまくったの迷路の中にいて、はじめての流産を経験したあの日から、いろんなことが変わっていって、少数派ばかりを引き続けてきた。今さらもう、何事もなかったかのように道のど真ん中には戻れないし、何よりそうしたいわけでもなかったなって思う。これはわたしの人生であり、今のわたしには迷路の中で見つけたわたしだけの理想の人生がある。
人からたのしそうだと思われるために、時間を使ってる場合じゃない。ほかの人がどんな仕事をしていようと、どんな休日を過ごしていようと、わたしには関係ない。わたしはわたしで、やりたいと思ったことを正直になりふりかまわずやる。わたしはそう決めた。それだけ。いつか、あのときそういう生き方を選択した自分よくやったぞと思う人生にしていく。それだけ!
おわり
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