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夫よ、これからも大いに忘れてくれ。



そうだ、酢豚を作ろうと思った。酢豚は結婚して同じ家で暮らしはじめたその夜に、わたしが作った思い出の料理。

しばらく作っていなかった。酢豚はめんどうな料理だとインプットされていたから。だけど今、わたしはひま。簡単なことをめんどうにしてしまおうキャンペーンを開催中の身。今だ。

スーパーで豚肉の見るからにおいしそうなやつと、ピーマン、玉ねぎ、にんじんを買って、ネットでレシピを調べて作った。つやっつやの酢豚。酢豚って、こんなに簡単だったのか、と思う。これが暇があるということであり、料理の腕が上がるということなのか。

作ったけれど、この酢豚を食べるべき夫が帰ってこない。スマホを見ると、遅くなるからお腹が空いてたら先に食べてとのLINE。

待つことにした。健気な妻と思われたかったから。「結婚した日にわたしが作った料理はなんでしょうクイズ」を出しながらこの酢豚を食べたかったから。夫に「つまつまみぐいしながらまつ」と返信をした。早口言葉みたいだなあと思って3回唱えた。言えた。

つまみ食いを2回しても、3回しても夫は帰ってこない。結局待ちきれず、食べてしまった。待つと言ったのに。口だけの人間、早口言葉だけの人間になってしまった。

お腹すいたーと言って帰ってきた夫は酢豚を食べながら、わたしのクイズに答えた。「鶏肉の照り焼きかなあ?うーんチキン南蛮かなあ?」おい、それはあなたが食べたいものの名前だろうと思う。

正解は酢豚でしたー!と言うと、「そうだと思ったんだよなあ」と夫。絶対忘れてただろ。後出しジャンケン。


けれど、いいのだ。これでいいのだ。なんでもことこまかに記憶して、ときにはその記憶を思い出してのたうち回ってしまうわたしと、喜びも悲しみも喉元を過ぎた瞬間全て忘れ去ってしまう夫。ちょうどいい。もしふたりともわたしのようだったら、もっと悲観的な人生になっていた気がする。悲観するに値するようなことはたくさん起こったのに、今日こうして穏やかな日を過ごせたのは、夫がすべて忘れてくれるからなのだ。



あなたはこれからも忘れてくれ。いいことはわたしがふたり分覚えておく。つらいことは、ふたり分あなたが忘れてくれ。そんなことどうってことないって笑い飛ばしてくれ。そうすることで、わたしを救ってほしい。仕事と誕生日と結婚記念日だけは、例外だけど。


おわり

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