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それでも、わたしは「PRパーソン」でいたかった

この記事は、【 #PRLT (Lightning Text) Advent Calendar 2020】の第3日目(12月3日分)にエントリーしています

※昨年までのわたしのPRブログはこちらです(noteへお引越ししました)
※アイキャッチの写真は2019年にディズニーに行った時のです。それっぽかったので

2020年8月にテクノロジーで人々を適切な医療へ案内するヘルステックスタートアップ・Ubieに「PR Ops」として入社しました。2018年に体調不良でレバレジーズを退職するとなった時からだとこんなタイムライン。

2018年10月 レバレジーズ退職→療養
2019年3月 個人事業主として開業
      PR伴走やライター、イベントプロマネ、社長助っ人など
2019年8月 #PRLT を法人化(合同会社)
2019年8月 ism株式会社 入社(並行してUbieの業務委託)
      スタートアップのPR支援プログラムをつくったり、
      Webメディアのディレクション・編集しまくったり
2020年8月 Ubie株式会社 入社

いま思えば、あんまり事細かに自分の現在値を言わなかったのは、しっくりくる生き方じゃないと感じ続けてきたからかもしれません。

ということで、PRパーソンとしての新しい道を見つけた話をします。PR歴3〜5年目くらいでこの先どうしよう?と思っている方にとってヒントになれば幸いです。

わたしのPRは「誰もがPRと向き合える世の中をつくること」

▶「ひとりPR」の限界

新卒のころからインハウスPRしかやったことがない私。10人/100人/1000人の会社の広報部門を立ち上げ、実質ひとりで運用してきました。そこそこプレスリリースを書いたし、何度もメディアの方に提案したし、取材対応もしてきました。オウンドメディアの立ち上げも、社内報作成も、社内イベント企画も。ユーザーイベントの企画運営は最初まるでできなかったけど今では大好きだし、PRエージェンシーの協力も得ずにひとりで記者会見を企画したこともありました。謝罪文書いたり、プレスリリースを取り下げるなんて経験もした。さらなる成長を求めて、某新聞で20年記者をやって取締役もやられていた方にアドバイザー契約もしていただいた。

目の前のことに120%向き合い続け、個別最適スキルはぐんぐんあがっていきました。全社MVPとして表彰されたり、半年でボーナスが倍に増えたりと、会社に貢献していると評価されてもいました。

が、その反面、点を線にする経験は一向にできませんでした。6つほどの事業(サービスでいうと数十個)があったので、そこに時間を割くとすべてのPR活動がストップしてしまうからです。やって「年間計画を立てる」まで。長期目線でのPR戦略が描けない。情報参謀にはなれない。これがずーっとコンプレックスでした。だから"縦"のキャリアを描くことは一回もありませんでした。なんとかせねばと思って各事業部から広報活動ができうるメンバーを集めたチーム体制をつくり、やっと機能しだしたころ、まさにこれからな時に、わたしがキャパオーバーで倒れてしまった。

▶フリーランスPRへの違和感

部長やマネージャーになれるスキルや器はない。自分のペースで自分のやりたいことをやろう。そう考えて選んだのがフリーランスPRでした。ただ、"打ち上げ花火"をつくったり相談に乗ってアドバイスする、というのがわたしにはどうもしっくり来なかった。

でも、新卒からPR職しか経験ないわたしからPRを取ったら何も残らない。結婚したタイミングでもあったので「人生の第二章をどう歩むか」を尚更意識するようになっていました。

▶PRLTを法人化し、「てめぇのPR」を見つめた

そんな時に決めたのが #PRLT の法人化。参加者が増えたり活動の幅が広がったりして、口座やクレカがほしい、法人格で取引がしたいと思うようになって決めました。なのでそれ自体は全然大したことないですが、法人登記などで #PRLT が大切にしてきた価値観を言語化する機会が増加。

「てめぇのPR」をシェアしよう、って、我ながら良いこと言ってるよな。じゃあ、わたしの「てめぇのPR」って?

あれこれ考える中で腹落ちしたのが、「誰もがPRと向き合える状態をつくること」でした。

周囲の人とある程度の共通言語があれば倒れるほど仕事しなくて済んだのではないか。私が退職したあとに後任になった子が、次の世代の子たちがしんどい思いをしないんじゃないか。

新卒の頃、右も左もわからなくて毎日半泣きだった私を救ってくれたのは、社外のベテラン広報さんたちです。彼ら、彼女らがいなかったら確実にいまのわたしは存在していません。

誰もがPRにちゃんと参加・入門できて、続けられる。真の「脱属人化」ってそういうことじゃないのか…?だとしたらそれって本気でやったほうが良くないか?

そんな思いから「PR Ops」というポジションで生きていくことを決めました。

サステナブルなPRをつくる”職人”になる

「PR Ops」とは「PR」の「Ops(Operations)」に特化した仕事をするポジションです。Opsは『目標を達成するため、物事を運営・推進していく手順を定めること、また、それに沿って実施していく一連の作業、実務』のこと。すなわちPRのプロマネと仕組み化を担当しています。

ミッションは、持続可能な”死なない”PRをつくること。そのために「PRの標準化・可視化・最大化」と日々向き合っています。詳しい話や具体はこちらを。

円滑で持続可能なPRをつくるからには、いままで以上に専門知識をインプットする必要がありそうだし、仕組み化にはツールを駆使するITリテラシー(のようなもの)も求められるなと痛感している今日この頃です。

「てめぇのPR」と向き合うために

自分がしっくりするキャリアを見つけられたのには、3つの理由があると思っています。

①できること、できないことを認識する

「PR」といってもその業務範囲は多岐にわたります。自分が得意なこと、できること、逆に苦手なこと、できないことがはっきりしていたのはかなり大きいです。重要なのは、第三者と認識を合わせるために、その「出来る」「出来ない」がどの程度なのかまでクリアにすること

これはフリーランス時代のメニューづくりや転職活動での経験がすごく活きました。自分では見出しにくいので、社外の広報仲間に積極的にフィードバックをもらうのがおすすめです。

②自分ができないことをできる人とチームになる

すべてのきっかけをくれたのは、片山さんでした。ちょうどフリーランス活動にモヤモヤしだしたころにUbieで一緒に仕事しようと声をかけてくれ、半年後には「PR Ops」というポジションの可能性を見出してくれました。

片山さんは、お仕事の話を聞くたびに刺激と自分の未熟さを感じるほど、自分ができないことができる人。Ubie PRチームで共に働きPAをリードする重藤さん(「しげまる」と呼んでいる)も、PR実務経験こそないもののだれよりもステークホルダーごとの視点をもっている人。

そしてなにより、Ubieは両代表をはじめみんながPRと向き合う覚悟を持っていて、プレスリリースやメディアへの回答内容ひとつにとってもそれぞれの目線からフィードバックや意見をくれる。だからこそ「PR Ops」という役割に専念できるのだなと痛感しています。

③「助っ人業務委託」からはじめてみる

いちばん薦めたいのがこれ。とくに①が見出せていない人は「手伝ってほしい」という誘いに積極的にのってみてください。声をかけてくれている時点で何かしら実力を認めてくれているし、何かしらワークすると感じてくれているからです。

その「何かしら」を仕事しながらクリアにしていくんです。そこがはっきりしないうちは「入社」の決心はつかないはず(たぶん内定も出ない)。Will(やりたいこと)ではなくWants(求められること)の積み重ねから自分らしい道を見つけていく。自分も相手もワークする姿がはっきり描けた頃には、新しいキャリアのスタートラインに立っているはずです。そうやってわたしはUbieの業務委託を始めた1年後にUbieの社員になりました。

”縦”と”横”だけがキャリアの選択肢じゃない

マネジメントレイヤーになったり独立したりする”縦”のキャリアを進むことも、PRスキルをもって他の職種にキャリアチャンジする”横”のキャリアを歩むことも立派で尊い道です。

でも、それだけじゃない。「現役の現場ゴリゴリなインハウスPRパーソン」の中で進む道の角度をちょっと変える”ななめ”のキャリアも、悪くないですよ。

苦手なことがあっても、できないことがあっても、わたしなりの「PRパーソン」を全うしていきたいと思います。

だってわたしはPRが、PRと向き合う人が大好きだから。

あなたのサポートがわたしのパワーになります:)