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【観劇記録】舞台『いつぞやは』シアタートラム / 窪田正孝氏の降板を経て

窪田正孝氏が“好きな俳優”になったのは、2014年秋に放映されていたTBSドラマ『Nのために』を観たことがきっかけである。
このドラマは、脚本、演出、音楽、キャスティング、俳優陣の芝居、いずれもとても優れており、個人的に好きなドラマランキングでも上位に入る。
窪田氏は、榮倉奈々氏が演じた主人公の杉下希美が心の支えとしていた地元の同級生・成瀬慎司を演じていたが、当時この「成瀬くん」に心を奪われた視聴者(特に女性)は多かったことと思う。爽やかで飾らず、でも少し陰もあり、照れ屋で年相応に不器用でもある。そんな成瀬を、高校時代、そして大学時代から社会人と、時の流れや環境の変化や感情の揺らぎに合わせて緻密に繊細にしなやかに演じ切っていた。
このドラマ出演以前から人気はあったが、より人気と知名度を上げた作品だったのではと思う。
それからもテレビドラマや映画に主演・出演し、いずれの作品でも彼の存在感や吸引力は唯一無二で、実力も人気も折り紙付きの俳優の一人である。

舞台への出演はそれほど多くはないようだが、2023年5月には、東急歌舞伎タワー・THEATER MILANO-Zaのこけら落とし公演『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』に主演として出演していた。
6月19日に大阪の森ノ宮ピロティホール公演で千秋楽を迎えている。

彼が、『いつぞやは』の稽古に入って、どれほどの時間や労力を重ねてきたのかは知ることができない。知れなくても、舞台上でその創り上げてきたものを体感することならば、できるはずだった。
しかし、第一頸椎の剥離骨折のため、8月26日からのこの舞台を降板すると8月21日に所属事務所が発表した。
彼の無念さは、計り知れない。


元は窪田正孝氏が目当てではあったが、鈴木杏氏と夏帆氏、女優陣の生の芝居にも期待しており、9月20日にシアタートラムへ向かった。

三軒茶屋は個人的にも馴染みがある街だ。以前、沿線に住んでいたことがあり、よく買い物に来ていた。気になる飲食店も多い。
世田谷パブリックシアターとシアタートラム、比較的小さな劇場だが、上演作品はポピュラーな役者によるものが多い。駅直結でそんな舞台演劇をたのしめるのもこの街の魅力のひとつだ。

シアタートラムは、基本形状225席の小劇場である。
中盤の列、下手側の席より観劇した。


開演時間になり、「飴どうぞ、ありがとうございます、はい、飴どうぞ、ありがとうございます」そう言いながら、上手側の客席通路を降りつつ飴を配る人が現れた。
橋本淳氏演じる松坂である。
舞台上にあがり、彼の語りが始まる。

橋本淳氏は生の芝居ははじめてみる役者だったが、加藤拓也作品では常連である。
肩に力が入っていない風に見せようとしている力の入り方、のようなものを感じた。

彼の語りの最中も、所謂アンサンブルのキャストや、夏帆氏演じるさおり、豊田エリー氏演じる大泉、今井隆文氏演じる坂本が、傍聴するように舞台に座り込んでいる。
不思議な空間、空気感。

やがて、平原テツ氏演じる一戸が登場し、ストーリーは進んでいく。いや、現在と過去と記憶と回想と、それこそ、“いつぞや”のことが交差するように、展開されていく。

正直なところ、居酒屋のシーンや、稽古のシーン、演劇のシーンと、それぞれの登場人物の“うざい喋り”に、ちいさな苛立ちを覚えたりした。
しかしながら、お互いに恋愛感情のないかつて今より若かった頃にそれなりに仲間であった男女数人が、時が経ちそれぞれの人生の起伏を生きて現実の幸や不幸にもがく中でまた集まり、居酒屋でガヤガヤと近況を報告する感じは、はたからみれば“こういううざい感じ”かもなと思ったりする。
とはいえ、個人的に「これはいつ面白くなるのだろうなぁ」「鈴木杏さんの出番はまだかなぁ」と考えてしまっていたのも事実。
しばらくその感じで進んだ。


一戸が故郷である青森に帰り過ごす中、スーパーで再会したのが、鈴木杏氏演じる真奈美。
この鈴木杏氏の芝居や出立ちがとてもよかった。
田舎でシングルマザーとして子育てしつつ仕事をしつつ生きていて、その強さ、かつての学生時代から“大人になった”人間の、母親であることと女性であることの空気感のバランス、きっと元々の性格としての奔放さと優しさ、それらの塩梅が絶妙であった。

彼女が、舞台上の小道具を、何も発さず、急ぐでもゆっくりでもなく、ただ順に仕舞って片付けていく時間の感触が、肌にずっと残っている。


平原テツ氏の演技は、とても巧かった。
“平原テツによる一戸”は、とてもリアルで、これまでと、残り少ないこれからを生きる、生々しいひとりの人間として舞台の上に存在をしていた。臭い立つほどの生と死。病と余命のどうしようもない存在感。圧倒的な抗えない現実。絶望と諦観と、少しの希望。それら全てが、平原氏の一戸からべっとりと塗りたくられるような感覚で伝わってくる。
彼の芝居にも、急遽この役を引き受けたこと自体にも、役者としての覚悟をヒリヒリと痛むほどに感じる。

ただ。平原氏にも他の役者にも一切マイナスなところはないのだけれども、なんなら巧いがゆえに、この脚本や演出が、“窪田正孝の一戸”だから“エンターテインメントの舞台”として成り立つものだという印象が強くあった。
脚本や演出が、窪田正孝ありきでしかないものだったというか。だからこそ彼が降板したことがただただ残念だなという感想が、終始心にどっかりと居続けてしまった。

平原氏の一戸の芝居はこれ以上ない出来だ。平原テツによる一戸に、わるいところはひとつもない。脚本と演出の前提が、窪田正孝の一戸を想定したからこそ娯楽となる舞台作品、窪田正孝が主演だからこそ商業的に成り立つ舞台作品として出来上がるもの、という要素が大きすぎた。
このニュアンスがうまく伝わるかはわからないが。作品自体の根本の話で、役者の努力や労力には関係ない。繰り返すが、平原テツ氏の芝居は素晴らしかった。

やはり、“主演の降板”、“主演の代役”というのは、引き受ける側にどんなに技量や才能や覚悟があっても、作品自体が“役者ありき”の要素が強いと、どうしても厳しい。年代・知名度・人気・ファン層が異なると尚更に。
いや、役者ありきというより役者頼みであると。
芝居というのは役者ありきでいいと思うし当然だと思うしむしろ醍醐味なのだが、そのことと、役者の人気やイメージ頼みであることは別物だなと感じた。


さて。
個人的に、単純に出番の割合の話で、夏帆氏と豊田エリー氏は、もっと芝居が観たかったなという感じが残る。勿体ないような印象。
特に夏帆氏は、人間性を深掘りするような役柄で、今後、本作とは違う演出家の舞台作品で観たいなと思う。

■information

【東京公演】
8月26日(土)~10月1日(日)
会場:シアタートラム

チケット
料金(全席指定・税込)
9,000円 トラムシート7,000円

【大阪公演】
10月4日(水)~10月9日(月・祝)
会場:森ノ宮ピロティホール

チケット
料金(全席指定・税込)
S席10,000円 A席8,000円


【企画・製作】シス・カンパニー

東京公演
【提携】公益財団法人せたがや文化財団/世田谷パブリックシアター
【後援】世田谷区

大阪公演
【運営協力】サンライズプロモーション大阪

【問合せ】
シス・カンパニー
TEL:03-5423-5906
(平日11:00~19:00)

【キャスト】
平原テツ
橋本淳
鈴木杏
夏帆
今井隆文
豊田エリー

【作・演出】
加藤拓也

【公式HP】
https://www.siscompany.com/produce/lineup/itsuzoya/

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