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正解と道 | Kii

夫の実家は、紀伊半島の真反対側にある。距離は概ね200kmほど。
 
帰省する時は高速道路を使わず、山の谷あいを縫うように走り半島を横断する。途中おいしいもの目当てに寄り道をすることが多く、休憩含めて5時間はかかっているので、運転するのも乗り続けるのもなかなか大変だ。でも日常の景色にない渓谷を眺めたり、時々獣にも出会えたりするルートは気に入っている。
 
この距離に関わらずわが家は年に3回、お正月とゴールデンウイークとお盆に帰省する。今回海の日の連休でも帰ったので、今年は4回になる予定だ。
 
夫は4人兄弟の末っ子である。親族は、両親、兄弟とそれぞれの配偶者、子どもたち総勢17人で、結構な頻度で全員が揃う。大人たちは近況などを語らい、大学生から幼稚園児の子どもたちはボードゲームやトランプでテーブルを囲んだり、公園や川など屋内外で遊びまわる。皆、誰かに何かを強いることなく大らかで居心地が良い。
 
ところで私は、物心ついた頃からずっと緊張しやすい。ピアノの発表会のように一斉に注目される場面では、為すことより視線を意識する方が勝り、すぐ頭が真っ白になる。何か始める時には正解を決めて向かう性分で、なぜかそのプロセスは難解だと言う思いこみもある。その思考は時に自分への脅迫と思うほどだ。
 
以前カフェで働いていた時、レギュラーメニューにはないサンドイッチが期間限定で加わることがあった。パンに沢山の具材を挟んだ後カットする時はいつも緊張し、意識を手の動きに戻して、心を落ち着かせながらこなしていた。
 
夫は、そのような思考の私とは180度正反対の性格である。基本的に他人は気にとめない。お互いを極端すぎると不思議に眺めつつ、それでも少しずつこなされながら過ごしてきた。私のように、周りを過剰に意識しがちな者には彼のような人、ひいては夫方の家族もとても楽なんだと思う。特に義母の大らかさや既製に頼らないところは、過ごしていて学ぶことが多い。
 
帰省した時の朝食は、大人数で食べるのでいつもバイキングのように、トーストは大きなバスケット、卵料理やハムとソーセージ、サラダなども大皿に盛り付けて並べ、自分の分を取るスタイルになっている。
 
今回の帰省中に朝食を食べていた時のこと。前に座っていた義母が、食事も終わろうとしていた頃、お皿の上でパンにハムを挟みパクリと食べた。それを見た瞬間「パンに具材を挟んだらそれはもうサンドイッチなんだ」と当たり前のことを思った。もちろんカフェで私が切っていたのは商品で同じではないけれど、パタリと考え方の転換が起きたのである。
 
最初に正解を作ってしまうと、それに至れない結果は全部不正解になってしまう。しかも向かうものがすべて難解だとする考え方は細い細い一本道で、閉塞感しかない。それより成り立ちはシンプルだと踏まえて進める方が、心持ちは安心かつ楽で、いろんな選択肢があって豊かではないか。たった一瞬の出来事だったけれど、私の観念が1つ解かれたような気がした。
 
帰省の帰途はいつも、千尋がトンネルをくぐったように、行きの自分とはどこか違うような気がしている。その明らかな理由はわからないけれど、居心地の良い家族との時間はその一部なのかもしれない。

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