〜夢中になること〜
およそ2年ほど前のことだが、週4日だった練習が、週3日になり、練習がなくなった火曜日は自主練になった。
私が所属しているハンドボール部では、大体自主練に来る人間は限られる。自主練の時は、いつも同じメンバーだった。私と、もうひとりは大学で同じチームになった同級生。ふたり…。そう、ふたりだけだ。
「なんか、いつもみんな来ないよね。」
私がそう呟くと、その同級生はこう言った。
「みんなバイトやら勉強やらで忙しいんだよ、きっと。」
「それはみんな一緒だよ〜…。」
私が愚痴を零すと、その同級生は決まって笑顔で流す。
そして、キーパーのいない無人のゴールに、様々な位置からシュートを黙々と放ち続ける。
「あぁ、今のは止められちゃうな。」
携帯で自分のシュート動画を撮影しながら、たまに、ひとりごとを言う。そんな様子を見ていると、
「ねえ、〇〇(同級生の名前)はなんでそんなに頑張るの?」
こんな言葉が、私の口から自然と出てきた。
「ん?頑張ってなんかないよ。いつもと同じ、『遊び』だよ。」
「え?いつも遊び感覚でやってたの?」
私はその時、その同級生の練習に対する姿勢を疑った。地方の大学で、上位リーグではないとはいえ、部活を遊び感覚でやっている人間がいるとは。こっちは必死で練習しているのに…。
こんなことを考えていると、
「『遊び』って言っても、本気で遊んでるんだけどね〜。」
余計に分からなくなる。
「本気で遊ぶってどういう意味?」
私は途方に暮れて、その同級生に尋ねた。
「□□(私の名前)もきっとそのうちわかるよ〜。」
その同級生は強豪校出身で、チームの中では、抜きん出てプレーが上手かった。
私も小学校5年生からハンドボールを始め、中学校の時には全国大会出場を経験してはいたものの、プレーに関しては、その同級生の足元にも及ばなかった。
長らくその同級生を傍で見ていて、分かったことがある。
どんなに練習が厳しくても、いつもヘラヘラしているし、絶対に休まないしサボらない。そして、自主練にも必ず参加する。
きっと練習が休みの日にも、走ったり、筋トレしたりしているのだろう。
『遊び』でやっている人間のやる行動ではないなと思った。
そしてようやく、私は気付いた。
この人は、努力を努力だと認めない人なのだと。若しくは、努力しているという自覚がないのではないかと。或いは、努力していると思う自分が嫌いなのではないかと。向上心の塊だ。
この人は、心の底からハンドボールを楽しんでいるのだ。
夢中になるからこそ、辛くても立ち上がれるし、達成感も味わえる。だからいつもヘラヘラしてたんだ。
13年間、ハンドボールを続けてきたにもかかわらず、私は、スポーツの本当の楽しみ方を知らなかった。
努力は、夢中には勝てないや。
4年生になり、最後の大会が終わった後、私は、素直に、その同級生に謝りたくなった。
「ごめん、やっと分かったよ。」
「ん?ああっ!よかった。
これからも一緒に『遊ぼう』ね。」
夢中になること。私が仲間から学んだ、大切な財産です。
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